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特定の文化圏にこだわらないこと

僕は韓国語を少し勉強した事がある。
旅行レベルのカタコトぐらいなら今でもなんとかなる(と思っている)。

韓国語を一生懸命勉強して実際に韓国にも何度か行っていた頃は実際、この記事に書かれているようなことを実感として感じていた。
外国語を学ぶということはその国の文化の根幹に触れるということに他ならない。

実際、韓国語を使いこなす(マスター)ということは韓国語でモノを考えてそれを韓国語で表現するという作業になる。

しらない人から見るとただの面倒な作業に思えるかもしれないが当時の僕は世界観が広がることに対して高揚感すら覚えていた。


それより以前、後輩がアメリカ留学して英語をマスターして帰って来たときに「英語で考えないと英語が出てこない」と話していたことを思い出す。

後輩は通訳もたまにやっていたが、どう訳したらいいか分からない言葉が多い、とも語っていた。

当時はなんとなくニュアンスしか分からなかったがしばらくして僕もその意味が少しは分かるようになった。
言葉の翻訳だけなら難しく考える必要はない、
でも伝えたい思いの本質は別のところにあるものだ。

文化が異なり考え方がそもそも異なる。
それを他の文化圏でそのまま伝えるには無理がある。


今話題の大坂なおみさんについてひろゆきさんがYouTubeで語られていた。
要するに彼女はアメリカ人でその感覚での言動を行っているということ。

日本人みたいな顔をして日本語を話すので忘れがちだけど日本人の感覚でみてしまうとそりゃあ違和感覚えるだろうという話。

想像するに難くないと思うが、ハリウッドスターやアメリカの有名なスポーツ選手なんかが同じようなことを言ってもそんなに大きく取り上げられないし、話題にもならない。

なまじっか日本人の名前であるというだけで日本ではそんなことが随分と話題になる。まったく持続可能な社会って何なんだろうと思う。


話がそれた。

言いたいのは、日本という国の中でその文化圏だけが正解だという認識を持っていたらもったいない、ということ。
世界は広い。突拍子もない考え方を持つ宇宙人のような人種が存在する。

紹介したコラムは英語を文化としてちゃんと学んだほうがいいという話であるが、英語に限らず自分の知っている文化圏から一歩踏み出して他の文化圏を取り込んでいこうとする姿勢こそが大切だと思う。


規模を縮小して言えば複数のコミュニティーで活動したほうが視野が広がるということ。会社と家の往復だけでは絶対に得ることのできないものがそこには生まれてくる。

だからこそ僕は西野亮廣エンタメ研究所メンバーでありチロ公メンバーでもある。



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