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時にはアクセルから足を離してみる

時々周りが見えすぎてまずい状態になることがある。
とはいえ実はそこまで見えてないとは思うんだけど、俯瞰的なものとして全てのものをとらえてしまっている状態。

この状態で何がまずいのかというと「全て」の中に「自分」までもが埋没してしまっているという部分。
文字通りだが埋没してしまっているので端的に言うと自分を見失っている。

例えば仕事が超忙しい最中にあって、その恐ろしいスピードについていくのが厄介なほどであったとする。
環境に対する順応性がそれなりに高かったりすると段々とその状態が平気になってくる。


これは実は平気ではなくて、車を猛スピードで走らせるのと同じような現象が起こっている。

JAFのサイトによると

速度が増大すると運転者の視野は狭くなります。40km/hの速度の場合、運転者は100度の範囲の視野があり、路側の障害物やその他の潜在的な危険を視認することが可能ですが、130km/hでは視野は30度の範囲となり、運転者が周囲の潜在的な危険を認識する能力が大きく減退します。

らしい。
F1ドライバーとかは針のような視野で戦っているらしい。

何が言いたいかというとF1ドライバーまで行かなくても高速道路を走る時なんかは視野が狭くなっているのは間違いない。でもそのことに気づかない運転者は恐怖を感じることすらない。


忙しさの中に埋没するということはこれに似ている。
忙しさが普通になっているので判断力や決断の早さはものすごく上がるんだろうけど、そういう中で何か忘れてしまっているものがあったりする。

僕も忙しさが一定レベルを超えると、大事なものを置き去りにしていることがある。常にMAXで走ることが出来たらそれはそれで理想なんだけど人はそういうわけにはいかない場合が多い。

一方で感性が研ぎ澄まされてゾーンに入ったような状態になる事は理想なのだけど、その反面大切なことを忘れてしまうというリスクがあるとするならばその判断は難しい。

時にはアクセルから足を離すのも大事な決断だと思う。





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