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「表現する」ということ

発信は「一人」に向けよう。
Voicyのこのタイトルを見て「あぁ、ホントにそうだな」と思った。

西野さんは弟に話すようにビジネス書を書くという。

僕も例えばnoteで何かを発信する時、何も考えずに不特定多数に発信してしまいがちだし、一般論で無難な言葉で終わらせてしまうことがある。

でもそれって伝わらないし面白くないよね、という話。

西野さんがあえて「発信」というワードを使っているところって、やっぱりアーティストだと思う。
誰かに向けて何かを表現する。
これって言葉に限ったことじゃない。

音楽や演劇とか舞台は発信そのものだし、スポーツもそういう部分があるし、仕事だって同じことだと思う。
「発信」することっていうのはそういうことだと思う。

つまり外に向けてベクトルを放つという作業。


逆に自分の内側にベクトルを向ける作業もある。
これも必要なことだとは思うし自分自身を掘り下げることで外に向けたいわゆる「発信」にも深みを持たせることにもつながると思う。

「振り返り」とか「回顧」という言い方もあるが「引きこもり」とか「殻に閉じこもる」とかいうネガティブな言い方もある。
ま、そこは最終的なベクトルが外に向かうかどうかだけの話。

ベクトルが内に向いてしまっている場合、いわゆる「発信」する作業は難しいように見える。
ただ、そこについては難しく考えずプロセスとして垂れ流すというのもひとつの表現方法だと思う。


「プロセス・エコノミー」とかみたいに銘打ってしまうと敷居が高くなってしまうが、要するに自分の考えていること、思っていること、やってることを単純に垂れ流すだけでもそれは誰かの「共感」を得ることがあると思う。

動画でも画像でも音声でも絵でも文章でもなんでもいい。
ちょっと自分を主張すること、それを表に出してみること、それが誰かの共感を得る。このプロセスが大事だと思う。

これを収入につなげていくというのが「プロセス・エコノミー」ということなのだが今回はその話をするつもりはない。


言いたいのは、
「こんなこと他人に言うことじゃないよな」とか
「キモイと思われるからやめこと」とか
「努力は陰でするものだ」とか
そういうことじゃない。
そういうことも誰かに共感されるべきものだと思う。

実際に共感されると思うし、共感されることで報われるものだと思う。
結局人はやったこと以上にやったことを共感してくれることに対して喜びを感じるものだと思う。

実際に共感してくれるのは本当にたった一人のこともあるかもしれない。
でも共感を求めていく姿勢というのはより多くの人に伝わると思う。



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