見出し画像

慈愛の魔女が死んだ

誕生日に魔女は還る

誕生日って何か特別。もう歳を重ねたくないし、特別なことをしたいわけではないけど、誰かに祝われるのは心地が良い。その人の中で自分が一瞬でも思い出される日だからかな。
「おめでとう」という言葉自体に価値は見出しているわけではないのだけれど。

そんな12月の日、0時前に就寝した。
「そういえば誕生日だったな、誰かしらラインでもしてくれると嬉しいな。」そんな思いを持って寝た気がする。

私はラインの通知でメッセージは非表示にするタイプだ。やましいことがあるやつは通知メッセージを非表示にするとかほざいていた奴がいるが知ったことか。次の日の朝、ありがたいことに何件もラインをもらっていたので、ウキウキでラインを開いた。多分感情のジェットコースターがあるならそれに乗っていただろう。ラインの中に母から深夜に2件の着信と一言メッセージがあった。「おばあちゃんが亡くなった」と。

私のおばあちゃんはマザーテレサみたいな人だった。誰に対しても優しい、人の心配はせずにいられないような人。鍵っ子だったので、私は彼女のアガペーに育ててもらった。私が人からの好意に憧憬を覚えるのは彼女のおかげだろう。

古風な人だったので、社会人になっても毎月電話や手紙を送ってきた。たまにお金や食料も。初孫だったので、正直一番の寵愛を受けていた自覚はある。
いつまでたっても大人になれない私は、彼女のアガペーがうざったいと思うこともあった。中高は反抗期、それ以降は忙しさもあって彼女に真摯に向き合ったかと言われると自信は全くない。

誕生日の朝、頭が真っ白になった。事実を認識できなかった。多分後にも先にも人生で一番最悪な誕生日だろう。
人の死は初めてではない。おじいちゃんが死んだときは、余命もある程度知っていたのもあって、悲しみはなかった。人はいつか死ぬのだからというドライな気持ちが自分の中で大きいという自覚がある。多分もう一方の祖父母が亡くなってもそこまで悲しさは覚えないだろう、関係性が希薄なのもあるけども。
でも違った。喪失感というものを覚えたのは初めてかもしれない。加えてやつれた母や叔父の顔もより辛さを加速させた。正直見てられなかった。

なんで自分はこう思うのだろうと、感情に対してすぐに合理的思考を働かせる自分が、何も考えずに悲しみを覚えていた。
「あぁ、自分はもう彼女からのアガペーは受けられないのだ」と
失ってから気づいた、自分にはあまりにも大きすぎ、眩しすぎた。今後親以外に誰からその大きな愛情を受け取れるのだろうか。一生をかけても、どんなにお金を持っていても買えないもの、それを当たり前に享受できていた自分は世界で一番幸せだったのだ。

せめてあなたが私の記憶と心の中で生き続けられるよう、想いを込めてここに綴る。あなたに注いでもらったたくさんのアガペーを自分の大切な人に返せるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?