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滝汗 流 の物語 第一部


久しぶりに男性を主要キャラにしてみようということと、今書いている長編の段落内構成をもっとうまく書きたいので、その練習をしようと思って、習作として書きました。

第一部

 芭蕉の葉に似た色のワンピースを着た女性が私の前へ笑顔で現れた。が、差し出した手を私が握ると不快な顔になり 手を引っ込めた。眉間に皺が刻まれたまま お掛け下さいと言われた。
採用面接は失敗だった。
当然だ。採用というものは能力や経歴だけで決まらない。面接における印象 つまり採用担当者の感情に左右される。
相手を不快にさせてしまう私のような特異体質の者には不利だ。

 医学的には多汗症と言われる。
日常生活では基本的に麻や絹でできた手袋をしている。
図書館では本を受け取る時に なんで手袋してんだ うちの本はそんなに汚れてねーよ 失礼な奴だな という目で見られる 釣銭を受け取る時もそうだ 目がそう言っているのがわかる 
感染症が流行した時には予防のために手袋をしていると思われた 

差し出された手を無視することはその時点で相手の印象を最悪にする。かと言って握手をすればそれで終わりだ。
大学3年になって就職活動をしているが、面接となるとそういうわけで不採用になる。

 夏には汗の出る経路 つまり汗腺が渋滞を起こして 出口の膜からうまく出られずに膜を押し上げる その結果 膜はたこ焼きのように膨らむ そんなたこ焼きが掌にびっしりとできる 人差し指の腹だけ見ても100以上はある たこ焼きがたくさんある様は カエルの卵かメダカの卵のようにも見える 自分で観ても気持ちが悪い それなのに時々見てしまう 膜は限界が来ると破れて そこから汗と一緒に体液も流れ出す 皮膚に穴が開いたんだから当たり前の話で それが固まってかさぶたになる 掌が巨大なかさぶたで覆われて ちょっとしたグローブのようだ 余りに固いので アルマジロと呼んでいる そのアルマジロで握手なんかできないし 手を繋げない コンビニで買った物を受け取るために手を出すこともできない まじまじと見られるからだ。
アルマジロがない季節でも べたべたするから触りたくないレベルではない 田んぼに手を突っ込むレベルだ そうだ私の手は田んぼだ 何でも引きずり込んでしまう 沼だ。

 -三年前-
 高校でクラスにいる時も アルバイトの仕事場にいる時でも ふとした瞬間に自分は除け者だと思い始めてしまう 別のことを考えようとしても 何かに触るとまたすぐそんな思考に陥る 握手もできない 手も繋げないような人間は生きていても意味がないんだろうか

 彼女の隣に座ると 身体に力が入る。余計に汗が出る。こんな私と付き合ってくれているということは 彼女は人の内面を観る人だからだろう 事実 私の顔は平凡だ 背も高くない 有名な大学にも行けそうにない。だが、それだけに内面に自信の持てない私は 彼女の期待に添えていない気持ちになる 私は仕事やクラスメイトについて話さない 話すような楽しいこともないからだ それで会うたびに宇宙や植物 建築のことを話した
「流くんの話は面白い」と彼女は笑って言ってくれる。
彼女は小さいころから人と身体的な触れ合いをしてきた。人間関係も良好で 彼女の周囲には笑顔が溢れていたそうだ。ピアノの腕も確かで 音大に進むこともほぼ決まっている。それなのに私は 彼女の時間を奪っている
「いいえ そんなことはない」彼女はそう言う。
彼女は私に何を期待しているのだろう むしろ何も期待なんかしてほしくない 彼女のことを抱くこともできない もちろん子どもも抱けないだろう
  
新宿御苑の一角で がくあじさいだけが存在感を放つがごとく咲いていた。まだ朝9時だというのにもう夏の2時のような暑さになっている 地球温暖化の勢いは私の汗の勢いに直結している。 
近くでボール遊びをしていた子どもが駆け寄ってきた 足元にボールがあったので投げてやると 受け取った子どもがすぐに手を引っ込めた やけどをしたかのように指先を心配そうに見ている 私は血の気が引いたようになり まさかと思って手を観ると 手袋の指先が少し破れていた 爪を切るのを忘れていたので 穴が開いてしまったようだ 子どもの親も駆け寄ってきた 
急に周りが忙しくなり「ごめんね」私は一言いうと 彼女をおいて その場を離れた。
「どうしたの?」
追いついてきた彼女は後ろを気にしながらも私に声をかけてくれた。
うん ちょっと 私はそうあいまいに言っただけで そのまま一人で帰ってきた。
汗はすぐに気化するので 子どもの指も大丈夫なはずだ  わたしはそう思おうとする

かわいそうにと言われたくないという人がいる かわいそうと私は言われたい 社会が私の苦しさを認めるということだから こんなものを抱えている私を社会から対等に扱われたくない

彼女から音声通話があった
「生きている意味なんてない」と私が投げやりになると 
彼女は少し困ったような声で
「私にとっては流くんは生きている意味があるんだけどな」
と言ってくれた。

夏休みが明けて学校に行った。
右腕に絆創膏が貼ってあるのを目ざとく見つけた宮田が どうしたんだと声をかけてくる
「スリッパの中で足が滑ったんだ それで倒れた時にぶつけた」
「まじかよ」
手も足も顔も背中も汗だらけだ こんな奴と一緒に入りたくないだろうと水泳の授業は小学校も中学校でも休んだ 高校はプールのない学校を選んだ。
不思議と手汗だけは物を溶かす
手を置いているとテスト用紙は溶ける 持っている本は溶ける
パソコンも手を置いていたところが溶けた これには驚いた
動物園のチケットも会場に入場する前に溶ける 電子チケットにしたこともあったが、握りしめていた端末も溶けて サイズが小さくなった。
小学生の時には校庭を回っている間にアルトリコーダーがソプラノリコーダーに早変わりした
ラケット系のスポーツはできない バドミントンもテニスも卓球もラクロスもだ バットも持てない
陸上でもバトンを持てないからどんなに足が速くてもリレーには出られない
中学生になってからはそれがひどくなったので手袋をするようになった。
なぜか麻や絹でできた手袋は溶けないようだった。

汗をかくということは水分が身体の外に出るということだ。だから一日に水を4リットルは飲む 持ち歩く水筒も重い 
今日も日帰り旅行だというのにかなりの大荷物だ
窓を開けた電車に心地よい秋風が入って来る。時折、向い側の席にいる彼女と目が合う。近づきたい 触れたい けど、
私は視線を逸らし 少し離れた席で泣いている赤ん坊を見つめる
彼女の笑顔は「赤ん坊はいいね」と言っている
私は「こんな世界にようこそ」と思う
彼女と私は同じ世界に生きているのだろうか そんなことまで考えてしまう

「久しぶり」
鎌倉でお土産の鳩サブレーを買おうとしたら 男女の2人連れに声をかけられた どうやら小学校時代の同級生のようだ
「ああ そんなことがあったね」
適当に話して別れた。

「小学校 鎌倉だったっけ?」
彼女が初めて聞いたというように質問してくれる
「うん 汗のこととかいろいろあって あんまり楽しい思い出もないから 卒業して一ヶ月もすると もう小中のことはほとんど覚えていない」
「そう」
寂しそうに小さな声だった 

存在するけど、見えないもの 記憶 思い出 

 高校を卒業すると彼女とは会わなくなった
自然消滅というやつだ
手で触れないし 心も開かない そんな奴

 大学生になっても なんら治療法は見つからない
医学は進歩していないようだ
それなのに温暖化で手汗の量は増えている
就職活動もうまくいかない
それでも変化はあるもので 高収入のアルバイトが見つかった 日常生活では握手もできない私にぴったりの接客業だ

日傘を差すし 夏なのに手袋をしているハイソな奴と勝手に思われて 下町や地方では 釣銭を受け取る時なんかは特に煙たがられる 
ときおり腹が立って 直接手で受け取ろうかと思うこともあるがやらない そんなことをしたら私の掌に触れた指の部分から相手の手が溶けていくことになるからだ
人を溶かすのは仕事の時だけだ


第二部へ続く

第二部 まだ書いてませーん
構成の参考になりそうな本を探して 10日くらいで書きたいと思っています。

第一部は静かな話なので野々井透さんの「棕櫚を燃やす」の構成を参考にしました。太宰治賞に選ばれて、三島由紀夫賞の候補作でもあります。
「滝汗流の物語」にもそんな空気感が滲んでいるでしょうか。自分ではわかりません。
続きを期待させるような書き方もしてみました。うまくいっているのかどうか これもわかりません。

絵も難しいですね。
スマホの絵文字の滝涙?のようなポップな感じにした方がよかったかなと思うこともありますが、描けないんです。
生成AIに挑戦しようかな たぶんしないか

第二部を書きました。

第三部を書き終えました。

これで完です。

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