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滝汗 流 の物語 第二部

第二部 ミスターシェイクハンドの日常

海に運ぶのは手間だ 途中で観られるかもしれない その点私の掌という沼に沈めてしまえばそんな問題は起こらない 忽然と部屋から消えて 行方不明ってことになる

大学を出てからこのアルバイトは私の本業になった
彼女と別れて以来誰かと親しく付き合うということもなく 私の心は固く閉ざされていった
私生活で誰かと言葉を交わすこともないが、それなりに日常はある。室温を十四度に設定して 汗が出ないようにした部屋で映画を観たり 本を読んだり 近くの浜辺を散歩することもある
しかし、心は満たされないままだった

これで十人
事情は聴いていない。どんな理由でこうなったのか。金か権力争いかなんてこともどうでもいい。
どういう人間なのかも知りたくない。以前からいけ好かないあの政治家 あの芸能人 あの社長 採用面接で私を落としたあの女性 そういう人間が目の前にいれば嬉々として溶かすだろうが、東京に暮らしていてもそういう連中にじかに会うことはないのだから、仕事でも接点はない。これまでも知らない連中ばかりだったし、これからもそうだろう。
仕事とは関係なしに溶かすことは 自分のルールから外れることになるから やらない。
今日の七十代の男性 介護疲れの家族に見捨てられたのか 子どもの怒りを買ったのか 立ち退きを巡って大家と争ったのか 色々と想像はするが、それだけだ。
この仕事をしていて 誰かの身代わりで死ぬ人間に会わないことは 受け入れられる点だ。
ろくでもない政治家を生かすために身代わりの遺体が必要だなんてことは最悪だ。
私の仕事はあくまですでに死んでいる人間を溶かすだけ。処分場に過ぎない。この元人間がうまく生きられるようにしてやれたことなど 何一つない。
仕事が終わったので、報告すると、すぐに端末に百万円分のQRコードが表示された。
指示した通りポリエステルの服だったので、私が服を始末する必要もない。ビニールのロープで縛ってあったが、それも指示通りだ。縛っていない死体は恐ろしい。この元人間に意識があれば、私の方が怖ろしいのだろうが。
いつもどおり三十二度に設定された部屋なので、暑くてたまらない。エアコンは依頼主が後で切りに来るだろう。
外に出ると四十七度。やっていられない。
麻の手袋を三重にしていないと 滲んだ汗で日傘の持ち手も溶けてしまう。

時折 客があった。たいていは日曜日だった。依頼人は私の事情など知らない。仲介屋も私の事情にかまわず、今日の依頼内容を切り出す 

作業が終わってエアコンを冷風に設定してもすぐに汗は引かない。風邪を引かないように高めに設定しているというのもある。依頼主が戻るのを全身汗だくで待っていると 重いものが入った段ボールを引きずるような音が 足音と共にこの部屋に近づいてくる。部屋の前で足音は止まり 扉についた暗号をいらだたし気に押しているのがわかる。扉が開くと 顔をしかめた男がかがんで 重そうな段ボールを押して入ってきた。
「くそ 暑いな」
依頼人はリモコンを観ると「二十八度?なんだよ」と言って 操作する。まもなく音声が「十八度に設定しました」と伝える。
「ミスターシェイクハンド これもやっといてくれ」
段ボールを開けると紙の束が大量に詰め込まれている
「これは?」
「いいからやってくれ」
「これは予定にはありません」
男はポケットから財布を出すと 無造作に紙幣を取り出した 二十枚くらいはありそうだ
「ほら」
私はため息をついて 受け取った。

秋風が 木々から最後に残った葉を奪い取る様を観ながら大通りを歩く こういう日に仕事をするのは気が滅入ると思いながらも依頼があったビルに向かう ビルが近づくと目立つことは避けたいので日傘は畳んでバッグに入れる サングラスに帽子は欠かせない
一部上場企業でオリンピックや万博 ラグビーやサッカーのW杯に関わっている企業の本社ビル
地下駐車場で依頼人が待っていた
いかにも営業をしていますという感じの日焼けした肌に値段の高そうなスーツ センスの悪いごつい時計 なんでこういういかにもな格好をして 自分はかっこいいと思えるのだろう 典型的でユニークさがまったくない そんなことにも気づいていないのだろう 
裏で政治家や建築業者と癒着していることは世間にばれているのに厚顔無恥とはこのことだろう
やれやれ 金になるから仕方がないが、汚い奴らだ 本当はこういう連中を溶かしてやりたい
 
男が自分でも気づいていないだろう その不自然な笑顔で近づいてきて ミスターシェイクハンドですねと言いながら手を差し出す
そして自分の言葉で気づいたのか 慌てて手を引っ込める
取り繕うように笑うが、その不自然な笑顔は内面があからさまに出ているので、さっきの作った不自然な笑顔よりも自然な感じがする

私には愛想などない 仕事にそんなものは必要ないと考えている 
仕事をする 金を受け取る それだけだ
お客様は汚い連中で私は悪魔のようなものだ そこに笑顔なんて必要ない

高速エレベーターで高層階に上がる 案内された部屋の扉を開けると温かな空気が押し寄せてくる
仕事をしやすいように部屋は三十二度の設定を指示している 
見ると目隠しをされた男女二人が椅子に縛られていた 手汗が滲んでくる
「話が違いますね」
私は生きている人間を溶かすことはしない
それは殺人だ
「私はすでに死んでいる人間を溶かすだけです。聞いていないんですか?」
しかも二人 事前の話では一人だった
「いろいろありましてね。色を付けておきますから」
「少し考える時間が必要です」
「十分なら」
こちらが御願いしているような立場になるのは癪に障る
「七分で」
「わかりました。外で待っています。何かあったら呼んでください」
どうせ受けるんだろうという確信に満ちた余裕のある声で出て行った
暑さに耐えかねて出て行ったというのもあるのだろう 
さて どうするか
この仕事をして 今日で三十二人目になる筈だった。これはゲンのいい数字だ。
だが、二人となると

男が戻ってきた 六分を少し過ぎたくらいだ 時間を守れないというのは仕事のできない証拠だ
いちいち癪に障る
「落ち着きましたか」
「最初から落ち着いています」
「では仕事にかかって下さい。外で待っています」
「いや 条件面で合意していません」
「二倍払います。それでいいでしょう?」
金で何となると思っている さて
「私はゲンを担ぐんです この仕事には必要なことだ それはわかりますね?」
「ええ そういうこともあるでしょう」
「今日二人を溶かすと累計の人数が私にとってゲンの悪い数字になるんです」
「はい それで?」
まだ話の先が見えていないようだ
「一人か三人か」
「どういうことです?」
「例えばこの男性の方をやります。他の仕事で二人やって それからまたこちらで一人 それなら問題ありません」
「それは何日かかるんです?」
「どうでしょうね」
話の主導権は私に移りつつある
「今日二人ともやってもらわないと困ります」
あくまでもビジネスで自分は関係ないという態度だ こういう連中は仕事そのものにも興味を示さない。こっちに任せると言って外で待っているのが常だ。
仕事をしているのを観たいなどという悪趣味な連中も中にはいるが、その全員が吐き気を催して途中で出て行ってしまう。
だが、今日は出さない。

「わかりました。では仕方ありません。今日は三人をやります」
「三人。もう一人は?」
「あなたです」
驚愕しながら「はは 冗談を」などとへらへら笑っている
「問題ないでしょう?仕事にかかります」
私は男の口と喉を掌で塞いだ これで声を出すことはできない 私は静かに仕事をするのが好きなんだ 男の口と喉がしゅーと奇妙な音を立ててみるみる溶けていく
頭を溶かしてしまうと手袋をして 首から下げた社員カードを取り外す
それから胴体を溶かしにかかった

これで三十二人 ゲンのいい数字だ
後の二人をどうするか
私は女性の方を観た なんとなく見覚えがある
私はマスクを付けると女性の目隠しをずらした
サングラス越しに見たのは四年ぶりの彼女だった

話を聞くと新聞記者をやっていて この企業に都合の悪い事実を掴んでしまったとのことだった
けど、どうやってここを出たらいいか
「事情を知らない社員もいるし このフロアさえ出てしまえば問題ないでしょう」
鍵がかかっている が、問題ない
掌を当てるとドアノブごと鍵が溶けていく
さあ 開いた
彼女は同僚だと言った男性と手をつないでいる 怖いのか助けたいのか 
気にはなる だが、今は集中しなければ
社員カードをかざしてエレベーターを動かす。
地下駐車場は危ないので、人目のある一階から出て行くことにする
「先に行って」
「ありがとう。けど、もうこんなことはしないで」
涙を流しそうな震える声で彼女は言った 男性は言葉が出てこないようだが、頭を深く下げた

あの男を溶かして以降 生きている人間を溶かすことにも抵抗がなくなった むしろ私の人間性が溶けていっているような気さえする

溶かした人間が五百人を超えたころ 奇妙なうわさが耳に入ってくるようになった 私が溶かした人間が生きているというのだ もちろんそんなことはありえない 仕事が終わると私が居合わせるかどうかに関わらず 依頼人は部屋を確認するはずだが、隠してもいないし 溶けたことはわかっているだろう それが生きているとはどういうことだ

私は金もたまったし妙な不安を感じたので、この仕事を辞めることにした

仲介屋と会うのは採用の面接以来 二回目だ
これまでは仲介屋から端末で依頼を受けて 溶かすものの保管場所に行き 依頼人と共に数量 値段 麻など溶けないものの有無を確認する そして作業が終わると 依頼人が去っている場合には端末で報告する そうすると金額が振り込まれる 私は仲介屋に連絡して 仕事が完了したことを報告する それだけだった。
あなたがいるということは 私は信用されていないのか それともあなたが信用されていないのかなどと余計なことは聞かない
仲介屋は依頼人をバニッシュマンと呼んだ。消えた人間ということだ。
「それで?」
あの時依頼人を溶かしたことで 仲介屋は信用を落とした 依頼人が単独なら問題はないが、あのビルに入っている企業全体が敵に回った可能性もある 私や彼女たちばかりか仲介屋にも殺し屋を差し向けてくるかもしれない 私はすぐに仲介屋に事実をありのままに伝えた 
しかし、その後、何も起こらなかった。
仲介屋によると 今日の依頼人はその企業ではないが、取引先ではあるし 私が以前に消した人間とも関係があるらしい
時間は経っているが、仕事の依頼というのは口実で 単に我々をまとめて消す目的で呼びつけたのかもしれないという思いは拭えない それでも彼女が逃げ延びたという確信が欲しい 彼女の居場所を知らないかなどと訊いてくれれば 彼女はうまく逃げおおせているということだ 
私は縛られても閉じ込められても自由になれる 私を拷問することはできない 銃で殺されるなら仕方がない 特に生きていたいとも思わない

仲介屋の話を信じるなら バニッシュマンの目的は口封じではなく 大量の人間を溶かす依頼とのことだ
「大量って?」
暑い部屋で二時間も作業をしたら 私は体調を崩すだろう
「さあな」

仲介屋と私は大手町のビルに向かった
いつものように裏口から入り 貨物用のエレベーター前に行くと 依頼人と思しき男が立っていた。男は無言で頷くと 身振りでエレベーターに乗るようにと示した。二十階でエレベーターを降りると 左に通路を曲がり そのまま歩いていく 私たちは黙ってついていく 仲介屋の視線を観ると警戒しているようだ 男が扉の前で立ち止まり暗証番号を押していく 男に続いて部屋に入る ただの会議室だ。座るように促されたので私たちは座った 汗がじんわりと出てくるのを感じる 室温はたぶん二十度くらいだろう
男が話し出す
「私は依頼人の代理人です。本日 お二人に来ていただいたのには訳があります。それはこれまでのお仕事とは性質が異なるからです。作業自体は変わりませんが、人助けなのです」
私が身振りで続けるように示すと、
「あなたが溶かした人間は実は生きているんです」
妙なことを言う
「異世界 パラレルワールドと言ってもいいでしょう。あなたが溶かした人間は例外なく異世界に送られていたんです」

溶けたはずの人間は別の世界に移動していた
私の掌は人間を溶かす沼と言うより 異世界への扉だった

第三部へ続く

第三部 まだ書いていません

第二部はハードボイルドやブラックノワールに超絶能力の加わる話なので、佐藤亜紀さんの「天使」の構成を参考にしました。ハードボイルドは時々読むんですけど、ブラックノワールって読まないんですよね。ぜんぜんわかりません。
第三部はSF、ファンタジーなので、どうしようかな。
新井素子さんの「チグリスとユーフラテス」、宮部みゆきさんの「ドリームバスター」、宮内悠介さんの「ヨハネスブルグの天使たち」、冲方丁さんの「マルドゥック・スクランブル」、それともニール・スティーヴンスンの「スノウクラッシュ」、Wギブスンの「ニューロマンサー」あたりが参考になりそうです。

第三部を書きました。こちらをどうぞ。


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