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自分の小説世界を広げるために バルカン半島篇

日本に暮らして日本の小説を読んでいると どうしても日本の小説世界が枠として意識されがちになると思います。
日本では 「この小説変わってるー」と思われても、
世界中の読み手には「どこかで読んだ技法や表現だな」と思われているかもしれません。
日本生まれの日本育ちで日本にしかルーツがない作家だから狭いということにならないように 海外に旅行や移住などをできればいいのですが、諸事情でできない人もいますよね。上村もそうですが、海外の小説を読むことでなんとか埋めようと思っています。

今回はバルカン半島の出身者の小説で、上村が読んだものを書きます。
ブルガリア、ルーマニア、旧ユーゴ、ギリシア、アルバニアですね。トルコは西アジアで書いたし、ハンガリーは中欧、モルドヴァやポーランドは東欧で書きます。
見出し画像はブルガリアのリラ修道院です。世界遺産だそうです。

「ジュスタ」 
ルーマニアのベッサラヴィアで生まれたパウル・ゴマさんの自伝的小説。 松籟社の「東欧の想像力シリーズ」です。
ベッサラヴィアはルーマニア語ではバサラビア、バサラビア一世の土地だったそうです。21世紀にはモルドヴァ領になっていますが、公用語はルーマニア語だそうです。
パウルゴマさんは社会主義リアリズムの政治家でもあって、同じ社会主義のチェコスロヴァキアが民主化への意思を示した憲章77に賛成して、国外追放されています。
本の内容は、1985年のパリにいる男性が、30年前、1956年のスターリン批判、ハンガリー反ソ暴動、ブダペスト暴動に揺れる東欧の時代を思い出すという話です。当時、主人公は故郷ルーマニアにいて、ジュスタ/正義の女と名づけられた同級生トリアと共に、共産主義政権下の文学学校で、自己批判などの左翼的な活動をしていたんです。そこでは連帯感と裏切り、自己保身など、左翼のブントや細胞によく観られる光景があったんですが、自分は弱いと気付いている一人の視点から生々しく臨場感を持って描いています。秘密警察のセクリターテからの尋問があったり、学友が拷問にあったりするんです。行方を知らない学友もたくさんいて、ジュスタのことも気にかけています。すべては、すでに過ぎ去ってどうしようもないことなのに、という寂寥感がずうっとあるんです。

「狙われた狐」
ルーマニア出身ノーベル文学賞を受賞したヘルタ・ミュラーさんの作品です。チャウシェスク政権下のルーマニアが舞台。秘密警察と密告に怯えながら、息苦しく重苦しい空気感をポプラ並木の裸の枝や影も監視者のように描くことで表しています。食べ物がないから列に長く並ぶし、賄賂を渡すこともあるし、工場長などは地位を嵩に着て女性に手を出したり、閑静な住宅街では権力者が豪勢な暮らしを立てています。
クララは秘密警察の男と関係を持つことで贅沢品を手に入れる。アディーナは敷物の狐の四肢が日ごとに切り取られていくし、トイレには誰かの煙草の吸殻が落ちている。家の中にも安全はないことを暗示しています。
1989年の夏から冬、ラストになってチャウシャスクは演説を野次で中断させられ、ヘリで逃走し、殺されたと新聞や人づてに聞く。息をひそめていた人たちはもう農村に隠れていなくてもいい。カーテンを開けて、歓声を上げて外へ出る。けれど、権力者に身を任せていたクララは居場所がない。
どの土地でもありうる物語なので、普遍性を持っていると思います。

「庭・灰」1965年にダニロ・キシュさんが書いた小説です。
ね。旧ユーゴのセルビア生まれです。ハンガリー系ユダヤ人が父で、モンテネグロ人が母です。
灰は降り積もる静けさ、灰皿のような消滅、庭は家族の営みを意味しています。プルースト的な連想で、匂い、音、触覚でつなぐ断片的なプロット、時間軸はあいまいで、当時はジョイスやカフカのような前衛だったようです。比喩を遠くするのが印象的です。例えば「馬車のようなオルガン」。
主人公の少年アンディは著者daniloのアナグラムで、自伝的だとわかります。鉄道の時刻表を作成する仕事に就いていた父は、退職後はユダヤ人なので逃亡するんですが、星占いで方向を決めるんです。そういう時代なのでしょうか。父はゲットーに入れられても、時折便りを寄こしてきます。戦後も少年の眼に現れる父なんですが、おばさんは「どこかの収容所で死んだのだ」と言っています。幽霊なのか、生きているのか、幻影なのか。

「マイトレイ」(河出書房新社)
ルーマニア出身のミルチャ・エリアーデさんの自伝的恋愛小説です。マイトレイはマイトレーヤ、弥勒のことなので、インドの女性を神々しく例えているということです。ヨーロッパ的知識人の男性と、インド的な魅惑の女性という組合せは平凡ですが、ヨーロッパ人から見たインド人家庭の風習が臨場感を持ってわかるので、面白いなあと思いました。

「死者の軍隊の将軍」(松籟社)
アルバニアのイスマイル・カダレさんの小説で、2005年にブッカー国際賞を受賞しています。原作は1963年。
大戦から20年経ち、遺体の掘り起こしをして、故郷のアルバニアに埋め戻す使命を帯びてやってきた将軍と司祭。出発前には益体もない情報持った人々が押し掛ける、毎日同じ繰り返し、「夫は、あんたらに殺された」と敵意を持つ人もいるかつての敵国、別の国の捜索隊もいる中で、ある村に滞在していると、音楽が聞こえて耳にこびりつきます。これは村上春樹さんの「スプートニクの恋人」を想起しました。気にかけているZ大佐の遺体を見つけられるかどうかというのが、一つの焦点になっています。


読んだことがないので、読んでみたい本は、
イヴォ・アンドリッチ(ユーゴスラヴィア)の 「ボスニア物語」です。ノーベル文学賞を受賞している作家です。

バルカン半島と言うと、どうしてもドイツとソ連に蹂躙された地域というイメージで、ギリシア、トルコを除くと冷戦の東側でソ連に抑圧されていたイメージが強いです。言論弾圧もあったので、なかなか戦争の傷が社会的な記憶として生々しい、癒えないということだったんだと思います。それで、戦争と結びつく話が多い印象です。
読んでいる冊数も少ないので、21世紀の軽い、戦争から離れた小説があれば、もっと読んでみたいと思っています。




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