誰かのせいにしたところで

何か問題が起きると、誰が悪いんだ?と犯人探しになりやすい。そりゃ誰しも、進んで自分から火の粉をかぶろうなんて思わないし、自分にふりかからない方が嬉しいはずだ。

今日も遭遇したが、うちの組織では、よくこんな場面に遭遇する。他の組織でもよくあると思うが。

「管理職がしっかりマネジメントしてないから僕たちは辛いんだ」
「管理職にしっかり働いてもらわないと困る」
「管理職の力が落ちているから何とかしないと」

この「管理職、悪者にされがち問題」はよくある。

いろんなものが曖昧で、何に着手すべきか根本要因にたどり着きにくい。結局、うたれる策はクリティカルなものにならない。

解決策や手段、施策が的を外すのは、解決したかった課題の特定が甘かったからというのが大きいと思っている。もちろん環境の変化や予期せぬこともあるんだろうけど。

今日も確認はしてみた。それでも結局、妄想で誰もが総論賛成になりやすい「管理職が悪い」という程度のものだなあと行き着くのであった。

「管理職」は誰をイメージして言っているのか?
実際の人物から来ているのか?
→管理職という言葉の解像度をあげる問い

マネジメントしていないというのはどういうこと?
何かをしていたらマネジメントをしているといえる?
どうしていたらしっかり働いているといえる?
→マネジメント行動の解像度をあげる問い

管理職の力とは何を指すのか?
どんな力が発揮できていたらいいのか?
→管理職に求めることの解像度をあげる問い

こんな問いを投げつつ、解像度をあげてどんなことをしていったらいいのかを考えていったのでした。

結局、誰が悪いとなってしまうと、解決策がその「誰」をどうするのかということに終始しちゃう

結局、誰かが悪いとすると、その「誰か」が抜けても、次に別のまた「誰か」がつるし上げられやすいから、何の解決にもならない

そんなことをよくみてきた。
幸い自分のチームではそういうことはなかったが。

「誰」に焦点をあてる=自分はその問題の当事者じゃない
ということでもある。当事者じゃない人たちが多くなってしまうと、組織は良くない方向に作用しがちだ。これってとても危険だ。

組織の中で、誰が悪いのか議論や、特定の階層の人たちに責任をなすりつけるような議論がされたら、何とかして戻したいと想い、日々、過ごしている。

今日は、管理職を責めているように聞こえるということを場に出して、その管理職が変わったら変わると思うか?という問いも投げて、管理職がそうなってしまう取り巻くシステムに目を向けるように仕向けていった。

システムで見ることで見えてくることはある。
複雑すぎてわからないときもある。
打ち手が見えてこないときもある。

長年蓄積された課題をすぐに解決できる処方箋なんてない。時間をかけてあきらめずに向き合い続けるしかない。ときには逃げ出したくなるときだってあるし、それでもいいと思う。最後には戻ってきてくれれば笑

改めて思った。

誰かが悪いという話になったとき、その誰かがつくられてしまう環境や要因に目を向けよう

と。その方が誰かを特定するよりもきっと、根本から解決できるクリティカルな策をうつことにつながるだろうから。

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