人生はオリジナルストーリー

脚本・演出・監督・主演、自分。
それがまさに自分自身の人生。
人生は誰もがもつ唯一無二のオリジナルストーリーだ。

自分のオリジナルストーリーだから語りは自分の言葉になる。人の心に何かを残す素敵なストーリーテラーになる。そして、それに人は魅了され、心を動かされ、自分の糧にして、何かの行動変容につながっていく。

だとすると、どんなに自分の人生が平凡だとか、波があんまりないとか、つまらないとか思ったところで、実はそれが人の心に響くことってあるわけで。

なめちゃいかん、自分の人生を

さて、自分の人生どんなことあったかな?とか色々と振り返っていると、何となく傾向も出てくる。

学生時代は勉強の結果が自分の価値だと錯覚するほどだった。これも母親の影響が大きい。見知らぬ土地に家を建てた両親は地主に囲まれたそのエリアで、子供たちに活路を見いだした。自分たちの存在を感じるために。僕も兄も地元の進学校に進学。有名大学にも進学した。

学業の成績に追い詰められたこともある。
だけど不思議なことに思い出す出来事はほとんどが部活でのこと。土日の部活休みに何してたとさえも覚えていない。

中学はバスケ部、高校はハンドボール部。スタメンではなくベンチ。部員数が多くないことも手伝って背番号はもっていた。ものすごくきつい体育会系ではなく、割りと現実的な練習だった気がする。

特に科学的なトレーニングをしていたとかじゃないけど、ボールを最初から使って実践練習が多かった。試合にそんなに出たこともない。練習が特別きつかった訳じゃない。

だけど思い出すのは部活でのこと。例えば、雨の日に駐車場でフットワークやって足首捻ったこと、スタメンが試合当日に遅刻してその代わりにスタメンで出たこと、パスが得意で魔法のパスばりにすごいパスを通していたこと、とにかくシュートは下手だったこと、帰りに麻雀とかトランプとかやったことなどなど。

勉強は好きじゃなかった。
それが今では嘘のようにいろいろな学びの場に参加しているわけだから、わからんもんだ。

その反動だったのか、部活が好きだったのかわからないけど、部活の思い出は多い。恋愛の思い出は少ない。経験がなかったからなあ。何より、片想いで閉じ込めて終える恋が多かった。…というか、果たして本当に好きだった人がいたのかさえも定かじゃない。。。

小学校時代好きだった子は覚えていても、そのあとの記憶があんまりない。外見へのコンプレックスもあったから、恋愛についてはからっきしだったっけ。

まあ、そんな学生時代だったことが思い出された。これも僕だけのもつストーリーだ。たくさんのストーリーが僕の中にもある。

記憶をひらき、秘密をみつけ、そしてそのストーリーを開放して、何かの役に立てたらいいな、そんなことを思ったのであった。

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