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指先からねぎのにおいがするとき

指先からねぎのにおいがするとき、生活を濃く感じるのはなぜだろうか。

お正月のお吸い物用のねぎを切り終わり、こたつでお茶を飲んでいるわたしは、自分の指のにおいをかぎながら無性に満足していた。

「ああ、わたしは料理そのものがすきというよりも自分で生活しているという実感が心地よいのかもしれない」

自分が食べるものを自分で選び、用意し、体に取り入れてゆく過程を生活に組み込むこと。たまにそれをすると、いかに普段のわたしがわたしのことを雑に扱っていたのかわかる。不必要なタイミングで無理矢理摂取した、いらない栄養素がたくさんあると思う。


必要なタイミングで必要なエネルギーを取り入れることがうまくいくと、不思議と身体ががすっ、と軽くなることをわたしは知っている。しかも、それは自分で選んでできることを。自炊というものはわたしにとって大切な生活の一部であって、怠ってはいけないのだ。(それは怠っていたことがあるから気づいたことだ)

そういえば、「呼吸は、食事のひとつのありかた」と、ある学者が本に書いていたのを思い出した。故郷に帰ると、身体が軽くなるのはその理由が関係しているのだろうか。
澄んだ空気を内からも外からも吸収したわたしの身体は、ひとり暮らしのときの身体にかかっていた重力を忘れ、嘘みたいに楽になる。

自炊がわたしの生活にとって大切であるならば、呼吸が食事の要素なのであるならば。吸う空気を自分で選んでいくことも、自炊のひとつなのかなあ、とぼんやり考えてみたりもした。
"食事"というものの生活における意味深さや可能性を感じたお正月になった。

文章力向上のための勉強道具に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。