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人称について(3人称編)

どんなに自然を求めても、小説の語りは人工的になってしまう。

朝起きると、木村は子供の姿になっていた。

「誰がどこから見て語ってるんだい?」

俺は朝起きたら、子供の姿になっていた。

「なんでそんな冷静なんだい?」

一人称でも三人称でも何かが「変」である。

人称を考えすぎると、変さが気になってドツボにはまって進まなくなってしまう。

しかし、それぞれの人称の特徴や利点を理解しておくことは重要!

三人称

登場人物を客観的視点に基づいて物語がかたられる。「単一視点」と「多視点」にわけられる。

三人称単一視点

マウンド上のA太は、次の一球をなかなか投げることができず何度もボールを握り直していた。凄まじいオーラをバッターボックスから感じ、一度帽子を取り汗を拭った。顔上げるとバッターボックスのB男と目が合った。B男はニヤッと笑ったようだった。

A太という1人の人物にカメラの視点を合わせて書く方法。断定的に書けるのはA太の心情のみ。難点は「一人称とどう違うのだい?」てとこ、一人称よりいいところは「視点の切り替わりが分かりやすい。」

一章と二章で視点となる人物が変わる場合には、三人称単一では一章では「佐藤は」、二章では「山田は」と書いてあるのでわかりやすい。

さらに三人称で書くと急にカメラを、俯瞰や遠景にしても大丈夫。先程の文の末尾に

スタジアムの中心での2人対決に、その場にいる全ての人の視線がむけられている。

三人称単一は一人称と三人称のいいとこどり!


三人称多視点

マウンド上のA太は、次の一球をなかなか投げることができず何度もボールを握り直していた。凄まじいオーラをバッターボックスのB男から感じていた。B男は明らかに動揺しているA太の動きを見逃さなかった。必ず甘い球がくると悟ったB男は汗を拭い顔上げたA太と目が合うとBニヤッと笑った。

カメラを特定の人物に固定せず、心情や目に映る光景も制約なく描く。(神の視点) 

スタジアムの中心での2人対決に、その場にいる全ての人の視線がむけられている。

が末尾にきても違和感はない。難点は主語が多くなり洗練されてない印象を与えるかもしれない。
利点は描ける範囲が圧倒的にに広い、自由度が高いがゆえ難易度が高い。


三人称も一人称も最大のポイントは

この小説を語っているのは誰なのか。そして、誰に向けて語っているのか。

1つの解決策としてカメラの保持者を設定しどこかのタイミングでカミングアウトする手法がある。

「実は死んだ父親が天国から見て語っていたのですよ」とか「実はA太が過去を回想して三人称で書いたのが、この小説なんでしよ」など

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