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矛盾

完璧という言葉が嫌いだ。でもオールマイティになりたいと思う。

物事は万事不完全だ。でも、自分のESをみて非の打ちどころないわwwなんて呟く。

変わらないものは何一つないと思ってるけど、ケラケラ笑いながら私ってほんとに変わんないよね!なんてほざいている。

一貫性なんてくそくらえ。


矛盾するから、人間なんだよ、と思う。
矛盾を正そうとするのも、人間なんだけど。

そうやって、今日も負け犬の遠吠えを高らかに叫び続けている。
相変わらずだ。

今日、本命の面接で、多分失敗した。

私の話し方、なんか回りくどいらしい。前から言われてはいたことだけど、今思い返すと確かにそうかもしれないなあと思う。話している瞬間は無我夢中で、いっぱいいっぱいで、そんなこと考える余裕なんてないのに。

自分の話し方を直すって、なんだ。簡潔に答えるって、なんだ。

自分が分かりやすいと思った言葉の使い方が、多くの人に分かりにくいと言われてしまったら、どうすればいいんだろうか。

そうやって、伝わりやすい言葉を選んで、一生懸命に言葉を選んだ結果、それでもわかりにくかったら。

バカ、それは努力が足りないのだよ。と私のアンチが脳内でささやく。クッソ。お前の言う通りだよ。

伝わらない言葉は何の意味もないという文を何かで読んだ。そうだ。言葉は意思伝達手段。ツールだ。道具は、役に立たなければ意味がない。だから、言葉は伝わらなければ意味がない。はい、QED.

でも、やっぱり思い出す。ありふれた道具に使用価値しかないのなら、どうして私はもう着られないワンピースを、まだ捨てられないでいるんだろう。なんで宮沢賢治は、「クラムボンはかぷかぷわらった」って書いたんだろう。

役立つ人材が欲しいと言いながら、無駄にこそ価値があると演説する経済界の皆様、聞いていますか。右がマルといえば左がバツという世の中で育った私たちは、何を信じればいいんですか。自分で考えろというあなたは、誰にも教わることなく生きてきたんですか。

矛盾している。この世は矛盾している事ばっかりだ。さて、矛盾した世の中で私は言葉をどう使えばいいんだろう。相手に伝わりやすい言い方(テンプレ)に自分を嵌めていくのか。我を貫いて自分の世界を作るのか。

結局、その場、その時、必死に言葉を紡ぐしかないと思う。正直、相手と話している時そんなに自分らしさとか相手におもねるとか、考えられない。私らしい言葉で、相手にも伝わりやすいように全力で探しながら、脳細胞を酷使して話すのだ。日々、全力。全力で怠惰して、全力で努力して、全力で矛盾していく。矛盾に愛情を注いで、矛盾した「私のため」と「あなたのため」を切るように混ぜれば、いつかは私らしさってやつが出来上がる、多分だけど。

お腹がすいてきた。ご飯を買いに行こう。私のために、誰かのために。

全力で、生きるだけだ。

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