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人生における懺悔

頑張らないと泣けないし、涙を堪えるのにも頑張らないといけない。馬鹿馬鹿しい、中途半端だ。私は、どっちかに振り切れようとしたんじゃないのか。おまえ、それでも尖る覚悟あんのかって思いましたよね。

でも、人前で涙を流す勇気もなければ、流せそうな涙を我慢する虚しさに耐える忍耐力もなかった。何にもないな本当に笑っちゃうんだぜ。

じゃあ、ちょっと涙を流すためにお付き合い願いたいんですけどね。

私は未だに、何度も同じ後悔をすることがあるんですよ。それをね、順番に吐き出して行ってもいいかな。いいよ。ありがとう。

まず、文化祭実行委員長になったこと。弓道部を休部して勉強するとか言ってたのに、どうしてこの仕事をやろうとしたんでしょうか。そして対してその器もなかったくせにこれですよ。引き継ぎ資料もろくに作らずに終えてしまったのですよ。
おいおいマジで私何したんだ?とりあえず人前で話しただけです。当時は開会式の出来が文化祭の出来で、文化祭とは賞を取るためにあるものだと思っていたので(クソだな)、色々と本質を履き違えているのを理解させようと何度も先生とお話を繰り返しました。
当時は全く分かりませんでしたが、今更になってなんかわかった気になりました。
ああいう学校イベントは参加して仲を深めることに意義があり、みんなで協力することに意味があると大部分の人は感じているそうですので、それが正解だったんだろうなと思っています。

本当に、実行委員長なんて私じゃない方が絶対もっとスムーズで上手く行った。私じゃない方がよかった。
ただ文化祭というデカいイベントを通して得られたのは、私がリーダーに向いてない事実の確認だけでした。自分の失敗経験のために全校を巻き込んだんですよ、お前ほんとにどうやって贖罪していくんだよという気持ちですね。ご、ごめんね…

2番目は、私が弓道部を辞めたことです。そして、辞めたくせに籍を残すなんてくそ図々しいことをお願いしたことです。
おかげさまでさ、何も知らん人たちから高校時代何部だった?って質問されたら、弓道部でした〜って答えているよ、ずるいよなぁ。
でもな、その度に胸がギュッと詰まるんだ。嘘だもん、だって。いや、データ上嘘じゃないかもだけど、私は弓道部ヅラしちゃいけないんだわ。
やりきってないし、後輩と同級生にめいわく?負担かけて?それでイベントには顔出したりほんと今思えばずいぶんと面の皮がタウンページですね?こんな人間と今、出会ってしまったら私はマジで軽蔑しますね、なんなのあいつ?ってなりますよ、よくもまあ表向きかどうか知らないけどちゃんと普通に話をしてくれたものです。
それは、わたしの同級生の弓道部やり切った皆さんに感謝だな、口が裂けても同期なんて恐れ多いこといえない、もはや人生の先輩、人徳がすごい。待って他にも図々しいエピソード思い出してきたヤメロヤメロ助けてくれマジで高校時代の私がクソすぎて無理助けてくれ(自業自得です)

あと最後に、中学3年生の時に学級委員に立候補したのも、後悔してるし、やるべきじゃなかったと思う。ああいう仕事には、人望がある人がなるべきなんだよな。

何をするかじゃない、誰がいうか、誰がやるか、それによって何をするかも変わるし何かをする時のモチベーションも変わってくるのよ。

だからな、変な話、推薦ってほんとに合理的なシステムなんですよね。立候補ってマジでほとんど碌なことにならないんだよな(立候補して引っ掻き回したマンの言葉の重み)。かれこれ失敗の数は人の5、6倍ありますからね!逆に言うと、失敗たくさんしないとこんな簡単なことにも気づけない、なんてコスパの悪いやつなんだ驚きだぜ。


私は、苦手なことが人より多いポンコツだけど、その無鉄砲さだけが売りで、あの積極性だけが売りで、それを失ったらただ人間としてマイナス領域なので、なんとかプラスにしたくて頑張ってたつもりだったの。

でもな、頑張るほど人に迷惑かけちゃうなら、頑張らない方がよかったかな。私が1人、出来損ないのままであれば、誰にも迷惑かからなかったんだよね。

はぁーヤダヤダ!ネガティブ!というかまあ心の中で繰り返してきた拷問をようやく言葉という形で表に出して実演販売みたいなことしたわけですけど。

巻き込み事故か娯楽になったかは知らんけどまあ、私は楽になりましたよ。良いんだよこれが私の脳内だ。クソ卑屈で後悔渦巻くメンヘラ予備軍ですわ、そしてこんな私はポイポーイです、さよならネガティブ。
もう卑屈も自信がないのもいらん、マジでいらん、毒にも薬にもならない。

弱音吐いたとこで問題は解決しないんですよ!!うるさいたまには弱音吐きたいし好きにさせてくれや!とも思うので、やはりまだ人間だなあと思うのです。矛盾を抱えて生きていく、これぞ人生じゃん。

なんの話なの?と思った人、要は、わたしが長年苦しんできた事を懺悔して、そんなサイテーな中学高校のわたしを忘れるための、儀式です。

それがこの文章なの。許されたいの私。
そんなことなかったよ、大丈夫だったよって言われたいの、だけどそれは私が私に言ってあげるしかないから。
私しか私をズルいくらい甘やかせないから、というかそうじゃないと困る、甘やかしちゃダメな場面では友人知人には厳しくしてほしいもん。

だからね、言ってあげるんですよ。あの時の私、必死だったね。勉強できなきゃだめだって必死だったね。
勉強がだめならそういうリーダー系のことやって尊敬されなきゃ、人としてみんなと対等になれないし魅力がマイナスになっちゃうって、焦ってたね。
むしろそれで魅力を無くしてることを、まったく考えてなかったんだね、必死だったんだね頑張ったのね。
そうだよね、あの時たくさん失敗したからこそ、今のちょっと前より空気が読めて前より自信を持とうと頑張ろうとしてる私になれたんだよね。
ありがとうね私。もう良いんだよ、あの時のアタシを責めなくて良いんだよ、あの頃のサイテーなわたしを繰り返さなければそれで良いんだよ。
頑張ったね。お疲れ様。
どうか神様、お赦しを。

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