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伝わらないことが悔しくて泣く

なんでこうなっちゃうんだろう、と思いながら悔しくて号泣することが今週2回もありました。連日の酷使で目はパッツパツ、顔はむくんでそれはもうひどくて…苦笑

決して自分の言葉不足ではない。違うことを受け入れられなかっただけ。

コミュニケーションの中で起こった行き違いだったので、落ち着いた後に自分の言動がどうだったのか?適切な表現だったか?ということを振り返っていたのですが、私は言葉を尽くして、相手を想って話をしたよなあという結論になりました。

でもこの尽くして向き合った感覚って、「あくまで私はこうした」なんですよね。自分の中にある相手像に向かって喋っていたのかな、とふと思って。

押し付けていないけど、自分の中にある相手像と実際の相手のギャップを瞬間的に埋められなくて、自分もいっぱいいっぱいだったからその違いを受け入れることが出来なかった。そんなことが起こったんだろうなと思いました。

違うことは気にしなくていいし、全部尊敬する必要もない

ビービー泣いていた時にそばにいて声を掛けてくれた人に言われたのが、このふたつで。

①違いを気に病むことはしなくていい。全員違う人だから
②大切だから、関わるからと言って全部を受け入れて尊敬しなくていい。あなたがいちばん大事だから

すっごく気持ちが軽くなった……どっちも努力していたことだったんですよね。違いを受け入れることも、相手を尊敬することも。
見透かされたような感覚も持ちつつこの言葉たちのあたたかさに触れてさらに泣きました。笑

関係を築くことは受け入れることとは異なる

私は相手を尊重したい!という気持ちが強いと自分側がいつもYESと言える状態になれるように努力をしがちです。自分の信念がありつつ相手を分かろうとするから余計負荷がかかる。受け入れること=関係が深まり前進することだと信じて、ここまで来ました。

でもね、このスタンスはコスパが悪いんです。自分と相手は違うという事実の方を受け入れた方がかなり手っ取り早い。人じゃなくて起こったコト。相手との違いを恐れないという信念が今の自分には必要なんじゃないかな。と思います。


日々は続いて行くから、急には変わらないし変えられない。でも積み重ね方の工夫は出来るような気がする。だからこうして時々、出来事と気持ちを振り返ってみようと思います。

いきものがかりのなくもんかという歌詞の中に
「わかりあうってことは ゆるしあうってこと」
というフレーズがあって。私この言葉がすごく好きで。違うことを許せない自分がいると思うから、まず許すことをうっすらと意識しようと思います。

なくもんか!!


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