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町田康『猫のあしあと』感想

※2022年10月執筆。
※暗い話題多めです。

町田康がまだ熱海に引っ越す前の、六本木時代の話。作中、生死の境を彷徨った末、一命を取り留めたエルという仔猫が登場した一方で(昨日読んだ『猫のよびごえ』ではすっかり元気な成猫となっていた)、2匹の猫が亡くなってしまった。
猫はとても賢く、それはもう人間なんぞ足元にも及ばないくらいなのだが、病気に罹った時の対処法や病院での診察や治療のこと、食事の管理等には詳しく無く、これは人間の側が正しい知識を身に付け、正しい判断を下さねばならない。
ゲンゾーが亡くなった原因を、町田康は自分のせいであるとひどく責めていた。しかしかかりつけの医者の言葉に従っただけであって、町田康自身に落ち度は無い。治療ならともかく、ワクチン接種でセカンドオピニオンが必要だなんて、ほとんどの人は考えが及ばぬであろう。かかりつけ医だったら尚のこと信じてしまう。

それでもこのエピソードは教訓になった。小さな体で、かつ人間のように「今日はなんとなく怠いから薬局で葛根湯でも買って、ポカリ飲んで早めに寝よう。数日経っても変わらなかったら病院行こう」みたいな行動は取れない生き物である、ということをもっと日頃から意識しないといけないと思わされた。
我が家の愛猫はまだ2歳だが、彼女の寿命はわたしの寿命より(恐らく、だが十中八九)ずっと短い。ふわふわで赤ちゃんみたいなのに、きっといつまでもそうだろうに、わたしより先に死んでしまう。それは仕方が無いし、二人暮らしのため、わたしが先に死ぬと面倒を見る者が居なくなりかえって困るのも確かだ。
愛猫の死は、出会ったその日から、もっと言えば出会う前から考えていた(全然関係無いが、父親は産まれたばかりのわたしを見て、まず同じようにそのいつか来る死を想ったらしい)。本著のあとがきにこうある。

彼らの命を預かるからには、弱くて小さな生き物からなにかを得ようとする前に、我々よりはるかに寿命が短い彼らが、幸福で健康な生涯をまっとうするために我々がなにをできるかをまず考えるべきであると思う。

全く以ってその通りである。可愛いと感じることで生じる快楽や癒しを求めるより先に、やらなくてはならないことがある。猫は人間のために生きているのでは無い。愛猫も健康に、苦痛を感じず天寿を全うして欲しいと思う。一つ我儘を言わせてもらうなら、その瞬間は隣に居たいと思う。

エルを引き取ることになった経緯が壮絶かつ残酷で、とても苦しい気持ちになった。エルは動物愛護相談センターに捨てられ、殺処分される直前だった。そのままボランティア団体に引き取られなかったら、生きたまま焼却処分されていたらしい。町田康は「殺処分する人たちが極悪なのでは無く、猫を捨てる人間が極悪なのだ」と書いており、それは間違い無いのだが、せめてもう少し苦しまない方法は無いのか…と考えずにはおれない。
焼死というのは最も苦しい死に方の一つだと聞く。激痛を感じながら即死出来ないのだから、それはそうだろうと思う。センターに捨てに来る人間の「捨てに来る理由」もいくつか記されていたが、どれも身勝手極まり無く、暗澹たる気持ちになった。猫や犬といった生き物の命を軽視するような人間が、何の法律で裁かれることも無く、いかにも善良な一般市民ですといった面で今でも普通に暮らしていると想像すると、こんな世界で生きているのが一層嫌で嫌で堪らなくなる。苦しい。
とはいえ、彼らが刑務所にぶち込まれたり、あるいは今後一生不幸な人生を送ることになったり、残虐な罰を受けることになったりしたところで、殺された生き物の命は帰ってこない。生きたまま火で焼かれた猫が存在した世界で、自分が出来ることをやっていくしか無い。

少し前の猫。かわいいね。

暗い話題にばかり言及してしまった。町田康の猫エッセイは、猫が可愛い、こんな面白い出来事があった、というほのぼのする話だけで無く、生き物を飼う大変さや命の重みまでしっかり描いていてとても良い。
余談だけど、若かりし日の町田康と猫が寄り添っている写真が何枚か載っていてよかったです。格好良いと思いました。

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