私とマリノス-立ち位置の変化’23-
あるいは今年に始まったことではないんだけど2023。
大みそかに語ることでもないとは思うんだけど2023。
第33節 アルビレックス新潟戦に思ったこと
2013年のF・マリノスを知っている人の多くはこのアルビレックス戦についていろいろな思いを感じていたと思うのです。
私もその一人で。
2013年のあの試合では「絶対に勝って優勝を決めよう!」と心の底から思っていたし、負けてしまった時には「何やってんだよ!」という気持ちでいっぱいでした。
そして2023年11月24日 第33節 アルビレックス新潟戦
選手や勝利を願ってやまなかったファン・サポーターも含め関係者の皆さんに若干の後ろめたさや申し訳なさを感じるが…
絶対に勝て! 勝とう! 勝たなくては!
という思いは実はあの日の私にはなかった。
ただもう彼らがその試合におけるプレッシャーなどのネガティヴ要素も含めて、ピッチ上のすべてを楽しんでくれて、笑顔でプレーしてくれて、無事であってくれて、それをあの場所で見ることができるならばそれでいいと思っていた。
なので悔しそうな彼らにちょっと申し訳ないと思いながらも「思いっきりできたか? 楽しかったか?」と心の中で問いかけていたし、僕は彼らのその戦いを間近で見られて幸せだった。
実は新潟戦に限ったことではない
少し前から自分でも違和感があったが、最近の私は観戦しながらピッチ上の選手たちに「楽しめよ!」「サッカーを楽しめよ!」と言っている。
最近の私は、何かミスをしても前向きなミスで当事者も周りも「いいじゃん、次行こうぜ!」というような笑顔を見せてくれるのが好きだ。
そして、彼らがそんな笑顔や真顔であってもポジティヴなチャレンジを積み重ねている試合を目前で見ることが幸せで仕方ない。
勝利はその積み重ねの挙句に訪れるご褒美みたいなもので(それは数試合分の積み重ねを要したりもするが)、そこで喜ぶ彼らを見るためにもホーム・アウェイを問わずなるべく足を運びたいと思っている。
(たぶんその究極型のひとつがうちの妻さんだと思っている)
なので実は「勝て!勝とう!勝ちたい!」がすべてでなくなっているのはあの新潟戦に限ったことではないのです。
私はいったいどう変わったのか
観戦を始めた2000年代頃はまだ20代で若かったこともあり、三ツ沢だったら選手にも聞こえるんじゃないかというくらいの喜びも怒りも含んだ情熱の塊のようなものをピッチに向けて遠慮会釈なくぶん投げていた気がします。選手の年も近かったしね、能活や遠藤アキちゃんなんか同い年だしw
2010年代頃から少しづつ自分も大人になり、選手たちが弟クラスになってくると「よくやった」「もっと頑張れ」と鼓舞するような気持ちをいつも持っていた気がする。2013年の「勝って優勝を決めよう!」なんてまさにそれで、等々力で膝を折って泣く俊輔を見るに堪えなくて、最前列まで駆けて行って「俊輔、泣くな!天皇杯を必ず取ろう!俺たちがついてる!」と叫んだのはいい思い出です。
この辺りまではやはり一緒に戦おうという(それが疑似的な感覚であることは承知の上で)気持ちでいたことは間違いない。
今のスタンスはおそらく昨シーズンくらいから無意識にそうなっていたと思うのですが、とにかく彼らが楽しく無事で試合を過ごせたらいいなと。
今気が付いたけど、アウェイに行って観光する際に神社やお寺に行くことが多いのですが、お願い事の中身も「必勝祈願!」から「みんなが楽しく無事にサッカーできますように」になってますね。たぶん去年あたりから。
私はいったいどう変わったのか
自分の年齢がいつの間にか人として落ち着いてもおかしくない年齢になっていたというのは一つ間違いのないところでしょう。
もう血気盛んではいられません。
慌てて走るとミートがグッバイしちゃうお年頃です。
サッカーは少年を大人にすると言いますが、私もいつの間にかサッカーに大人にしてもらったなあと実は感じていたりもするのです。
さらに、選手たちの年齢のギャップ。
観戦を始めた当初は選手たちと言えば年上、同い年。
そして弟年代の選手たちが中心となり、今や子どもたちと言っても差し支えない年齢! 陸なんかきっと第三子ですよww
彼らが真剣に幸せに怪我なく楽しくサッカーをしてくれれば、そしてそれを近くで見ていたいと感じてもおかしくはない。
たぶん、私が変わったのはそういうところかな、と。
大人の目になった分だけ、ちょっと外目・遠目から眺めるような…年寄り的な目線になってしまった。勝利至上主義から見れば老害w
変わったのは私だけか?
って書いたらもう答えは「私だけではない」しかないんだけどねww
マリノスというクラブ・チームの変化もまた私とマリノスの立ち位置の変化の大きな要素の一つでしょうね。
今のマリノスのサッカーってミクロに一試合を見ても本当にスペクタクルで素人目ながら「やりがいのあるサッカー」じゃないかと感じるのです。
たぶん、ものすごく難しい。難しいからこそやりがいがあるし、やり遂げた時は最高に楽しいんじゃないかと思っている。やり遂げたプレーの美しさは半端ないもの!
Ex.)第17節 柏レイソル戦の3得点目。すべてがワンタッチプレイで華麗に繋がってゴールまで繋がったシーン。
だからこそ、選手たちに「楽しんでくれ」と心から私は思うのです。
そう、マリノスもまた変わったのです
今のマリノスは楽しい! いや、今までももちろん楽しかったんだけど、経験した20年ちょいのマリノスで今のマリノスは本当に楽しい。
今の私みたいにちょっと外目・遠目になってしまったファンを離してくれない懐の深さをマリノスというクラブ全体から感じるのです。
一言で言うと「マリノスファミリー」というあの言葉なのかもしれません。
実は「怪我無く無事に楽しんでくれ!」という思いは選手たちだけでなく、ゴール裏で跳ねている若者たち(若くないものもいらっしゃるでしょうがww)にも強く思うのです。
緩くて温くて靭性の高い結束感
これはまだ結論の出た回答ではないんですけどね。
とにかく今のマリノスのクラブ、スポンサー、チーム、ファン・サポーターの結束感は半端ないと思うのです。
2003,2004年の連覇を成し遂げたころのマリノスも結束感が強かったけど、ここまで広範囲ではなかった気がします。
今の結束感って03,04年当時の結束感よりはあるいは緩やかで温い感じはします。あの当時の結束感ってできる奴らが能力の高さを担保にぐっとつながっているという感じだったと今は思うのです。
今の結束感って喜田主将の「つないだ手は離さない」という誰も落ちこぼれさせない私のようなアラフィフ世代には甘っちょろさを感じるようなものなんですが、ただ過去の結束感と比べて靭性はすごく高い気がしています。
粘り強い。強い波に揺らされても緩やかでもしっかりとつないだ手はしなやかに力を受け止め、受け流し、前へ進む。
そんな今のマリノスファミリーの結束感は変わってしまった私のような外目・遠目のファンも離してくれない。
じゃあ、私も離さないw
変わり行く立ち位置、そしてあと20年は見続けさせて
これからもきっと私とマリノスの立ち位置は変わっていく。
ただ、今年ほどそれをくっきりと感じた年はないかもしれないなと、記事にしてみたわけです。
これからもきっと変わり続けながらあと20年は(欲を言えばくたばるその日も)マリノスを見続けていきたい。
そんな私が今年のホーム最終戦セレモニーでふと感じた野望
2019年に喜田主将で優勝できた。
いつか喜田監督で優勝し、喜田社長で優勝したい!
頼んだぜキーボー!
それではみなさん良いお年を!
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