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娘と一緒に 35年振りに小学一年生の授業を受ける【思い出】

まずは保健室に行き
しばらく娘と一緒に過ごしてから
わたしは帰宅する。
ということを、しばらく続けていた。

が。

1ヶ月を過ぎた頃から
また事態が悪化した。

保健室に行ったら、記入する
「来室カード」を「書かない!」
と、娘が言い出したのだ。

「カードを書き終わってしまうと
教室に行かないといけないから
書かない。」と、、、。

1ヶ月もすると
保健室の先生がそろそろ頑張って
直接、教室に行こうか!
と仰るようになった。

なんとなく保健室での長居は
しづらくなった。

担任の先生も、保健室登校を
あまり認めておられないし
行き渋り、登校拒否、保健室登校、
不登校。どれも当然のことながら
学校サイドから歓迎はされない。

どの子も安心して行ける場所。
それが「学校」ならば
どんなに素晴らしいだろう。

理想と現実の間にはいつでも
分厚い壁があるものだ。

保健室は安心して行ける場所
だったのだが、どうやら
ココも長くは、居られないようだ。

そうして、ますます行き渋りは
酷くなり。

ある晩、お風呂上がりに着た
パジャマを寝る時に全部脱ぎ捨て
「風邪ひいて、明日は学校休む。」
と言って布団に横になった。

7月に突入していたので
ま。裸でも風邪はひかないだろう。
と、本人の気がすむんように
裸で寝させた。

体だけは丈夫な娘
風邪などひかず、大嫌いな学校に
次の日も行く事になった。

相変わらず、保健室にまず登校
するのだけれど、長くは居られない。
そこで、わたしも娘と一緒に
教室まで行く事になった。

「母さんとなら、教室に行ける!」
娘からのリクエスト。

この日から、娘の教室の後ろで
わたしも一緒に授業を受けることに!

いよいよ、本格的に
母子登校が始まった。

机も椅子も妙に小さく感じる
小学一年生の教室。

35年振りに小学一年生の授業を
受ける事になるとは、、、
4月の入学当初には思いもよらない
事だった。
人生ってなかなか面白い。

この頃、担任の先生や
スクールカウンセラーの先生から
「母子分離不安」というワードを
聞くようになる。

「ボシブンリフアン」
初めて聞く言葉。

子育ては日々勉強。
学ぶことがいっぱいだ。

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