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極景-11-

 #想像力の集約#
 
 谷田詠子からの連絡と、ほとんど変わらないタイミングで複数の友人から着信やらメッセージが届いた。誰もが動揺していた。なぜだかわからないが、彼ら彼女らの動揺へ、僕自身の精神や感情の類いには、全く呼応する様子がなかった。
 テレビに映る先生の表情をただ観察し、各種メディアの報道内容をインプットしていった。わかったのは、先生は出頭し、妻と娘ふたり、妻の勤務先の元同僚男性、計四名を殺害したと告げ、それ以外は黙秘しているということ、警察が先生の自宅、被害男性の自宅を捜索した結果、先生の言葉通り遺体が発見されたということ、それだけだった。
 僕は、なぜ、なぜを繰り返し、想像を複数のパターンで実体化していった。その過程で、ただひとつ確信を持てたことがある。
『先生はなにか嘘を吐いている』
 現役エリート官僚による大量殺害事件は放送局、通信キャリアに割り振られた電波を完璧に占拠した。ニュース番組の司会者、コメンテーター、論客が当惑しているのは明らかだった。余りに凄惨な事件であるから取り上げない訳にはいかず、多くの時間を費やした割には、容疑者が黙秘を通していることから、与えられた時間を埋めるためだけに憶測を話さざるを得ない者も少なくなかった。事態が少し動き始めたのは、容疑者が一言発したと情報が入ってからだった。
『極刑を望みます』
 先生は、そう言ったらしい。メディア、世間の反応は刻々と移り変わって、憶測の集合体になっていくようだった。ある意味では、先生のたった一言によって振り回された。自爆テロか?精神を病んでいたのか?サイコパスなのか?様々な分野の専門家が登場し、先生の家族構成やら経歴から推測した。取材陣は先生の自宅はもちろんのこと、実家へも張りついていた。先生の両親は早々に何処かへ逃げ果せたようだったが、奥さんの実家は、そうはいかなかった。顔は映らなかったが、毎日のようにコメントを求められ、わかりません、捜査の行方を見守ります、と何度でも答え続けた。被害男性の親は一切の取材を拒否しているようだった。どのメディアにも登場しないことで、またもや憶測が憶測を呼ぶスパイラルに嵌っていった。
 文部科学省の事務次官は謝罪会見を開いた。文部科学大臣は遺憾の意を表明した。捜査本部は、凶器と見られる包丁と被害男性の自宅から容疑者の指紋が確認された、と公式発表を行った。
 僕は、一切を見逃すまいとしたし、その全てを疑った。想像力を駆使することに疲れは感じたが、自分の身体と精神に変容は起きなかった。母は先生のことをよく知っていたからこそ心配し、僕の部屋を数日置きに訪れるようになった。母は、いつも通りなにも言わなかったし、説明を求めなかった。僕が集中しているのがわかっているから、ご飯を作ってくれ、ひろしの遊び相手をしてくれた。
 谷田詠子から数日置きにメッセージが届いた。彼女は事件に触れる言葉は一切遣わなかった。僕の身をただ案じ、生存確認をしているだけだった。一度だけ、私は報道されていることだけが事実だとは思っていない、と届いたことがあった。彼女は僕を通して先生を知り、彼女なりに先生のことを思い、できうる限り調べたのだろう。自らの家庭問題をどうやって解決していくのか、その道筋にだけ集中するべきタイミングで、横道に逸れさせてしまっていることに心苦しさは感じたが、彼女が僕へエールを送ってくれているのは、わかったし、元気づけられたのは間違いなかった。
 友人たちは最初の報道以降、沈黙を通した。その沈黙は僕らだけに共有された意義を孕んでいた。全員が個々に想像力を発揮し、自らができることを考えていた。
 友人のひとりからメッセージが届いた。それは自らのキャリアを台無しにする可能性の高いものだった。僕らは、会議することを全員一致で決定した。そして、ひとりの友人宅へ集合した。わかっている事実のみを集約し、僕らのすべきことを決定した。
 留置場へ面会に行くこと。弁護人に確認を取っていたから先生は接見禁止の対象へなっていないことはわかっていた。先生は殺害を認めている訳であるし、捜査本部による証拠品集めも概ね終わっているようだった。面会者は三名までは可能なようだったが、誰よりも時間に融通の利かせられる僕がひとりで行くことにした。友人たちは、病気の心配をしてくれた。実際、先生に会ってしまったら、自らがどうなるか、さっぱりわからなかった。友人たちには、もし僕に異様なものを感じたら、教えて欲しいとだけ告げた。
 
 先生の身なり、顔つきに変化は見受けられなかった。一方の僕は、面会場に入るのはもちろんのこと、その前に実施される身分確認やら警察官の事務的な振る舞いに、緊張し全身が強張っていくのがわかった。皆で決めたことを、ただ遂行するのみだと、自らを落ち着かせようとしても、まるで無駄だった。
「まるで、君の方が犯罪者みたいじゃないか」と、先生から言われ、僕は震える予兆を感じたまま、台詞を棒読みするのが精一杯だった。
「君は本当にあんなことをしたのかい?」
「僕の自供している内容が唯一の真実だよ。そして僕は君が想像している通りの人物だとだけ言っておく」先生は言い終えると席を立ち、面会場を後にした。僕はしばらく震えが収まらず立ち上がれなかった。
 先生は……普段、真実という言葉は遣わない。先生に言わせると真実というのは捉える人物によって姿を変えるものだそうだ。だから表現上必要な場合は、事実の可能性があるもの、としか言わない。敢えて僕にわかる暗号を送っている。それだけはわかった。そしていつも通り、残りは想像しろ、ということだ。
 僕と友人たちは、会議を打ち合わせという名称に変更し、週に一度か二度は顔を突き合わせ、意見交換した。
 僕がただ顔を見たいという理由だけで、先生への面会には週に三度は行った。その内、何度かは取り調べ中で面会できないこともあった。その何回目かのときに先生は、僕に想像したことを物語にすること、書くことによってのみ到達できる場所がある、と言った。これが、この短いとは言えない物語を書くきっかけであり、スタートラインに並んでいた僕と友人たちへの号砲となった。
 

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