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極景-9-

 #先生との問答#
 
「私と翔一くんに共通する話を聴きたい。さっき罪という言葉を遣ったでしょ。私は自分を罪深い人間だと思っているの。それと翔一くんが最近は教育に関心を持っているって言ったじゃない?それって先生の影響を少なからず受けているよね。私には娘が居るから、その話も聴きたい。きっと参考になると思うの。纏めるとテーマは罪と教育かな。まあ並列するとおかしな感じだけど、私の中では繋がっているのよ」彼女が僕へなにを求めているのか、さっぱりわからなかった。しかし僕の告白へ向かい合ってくれた御礼はしたいし、まだ彼女の話は聴いていない。媒介者になれるかどうか、それは結果次第だと割り切るしかない。
「僕に罪悪感はあっても、罪への見解はない。教育についても、まだ手掛かりを得られているとは言えない。だから両方とも丸々、先生から聴いた話になるけど構わないかな?」
「ええ、もちろんよ。翔一くんの話し振りには、かなり説得力を感じているから」
「自分ではわからないな……では先生から聴いた話をしよう。その前に前提を伝えておいた方がいいと思う。
 先生は法科大学院に進み司法試験に合格したんだけど、法曹界には進まなかった。文部科学省で教育を改革する道を選んだ。司法試験は、いずれ法整備を行うための、ただの土台作りにしか過ぎなかった。
 僕の友人には先生を含めて官僚が数人居るんだ。国立の付属中学、高校出身者だから、なにか人の助けになることをしたいと考える者はまあまあな割合になる。ある意味では、そういう教育を受けてきた結果とも言える。中には上昇志向ばかりで官僚のトップを担いたいという野心家も居るんだけどね。
 僕らは年に数回は集まる。先生は多忙を極めているから一回か二回しか来られないけどね。その一回か二回は皆にとって貴重な時間なんだ。学生時代は先生へ毎日のように話を聴いて貰ったり、教えを請うたりできたから、先生が来る会は示し合わしたように、あまり飲まず、先生から新しいものを得ようとした。
 罪の話題が出た会に、先生は遅れてやって来た。先生が来るなり、法務省の刑事局で勤務しているひとりが、いきなり議論を吹っ掛けたんだ。彼だけは、いささか飲み過ぎていた。これからは、彼のことを便宜上Aと呼ぶね。
『凶悪犯罪は減少傾向にあるが、ゼロには程遠い。凶悪犯罪にはもっと厳罰化が必要だと思うんだが、先生はどう思う?まあ、ゼロになって仕舞えば俺の仕事はなくなるんだけどね』と全く支離滅裂なことを言って、場は一瞬で凍りついた。一方の先生は苦笑いを浮かべるだけで、いつも通り静かに受け止めているように僕の目には映った。
『厳罰化を実行することで、凶悪犯罪が減少するエビデンスは存在しているのかな?』と先生は問うた。
『それは言わずもがなだろう。人間は自分が犯した罪でどれくらいの量刑を受けるのか、考え、厳罰なら押し留める効果はあるはずだ』とAは言った。僕にですら先生の質問への答えになっていないことは明白だった。ただの推論に過ぎず、Aはエビデンスを示すことができなかった。
『君の言っていることは、わからなくもない。だが厳罰化を考える前に、もっと根本的なことを見つめ直す必要がある。これは君にだけ言っている訳ではない。ここはディベートする場ではないはずだ。僕にとっては、貴重な意見交換や尊い思い出話で息抜きをする場でもあるんだ。
 でも、どうだろう、みんな、せっかく彼が罪と罰というテーマを投げ掛けてくれたのだから、少しの間、意見交換しないか?』と、先生は言ってから『その前に僕にも、せめてビールを与えて欲しいんだが……』と続けた。Aは諦めたと言わんばかりに、反り返り、全員で笑ったんだ」
「なに、なんなの、その受け止めっぷり。喩えは得意じゃないんだけど、大横綱の相撲って感じかしら」
「詠子さん、喩えが上手いじゃないか。言葉を借りるなら土俵上では誰へも対等である立場を崩そうとしないし、どんなときでも感情を制御することは先生には余裕なんだ」
「それ、何歳くらいのときのエピソードなの?」
「はっきりとは覚えていないけど、三十にはなっていなかった」
「……今日はたくさんのお話を聴いたから、お腹が一杯になっているはずなんだけど、これは予想通り別腹だわ……続きを聴かせて」
「先生のビールが到着してから、改めて乾杯した。しばらくは記憶に残らない些末な話をしていた。先生はAの様子を気に掛けているように見えた。
『A、君の置かれている状況は、なんとなくだが想像できる。僕らは同じ霞ヶ関で働く仲間であることを忘れないでくれ』と先生が言った。
『なんで、先生はいつでも、誰にでも優しくできるんだ……俺は違うんだよ』
『君にできることがあるのを僕は知っている。だが、今日のテーマは軽いとは言えない。後日にしようか?』
『いや、今日のテーマで扱って欲しい。俺はそのためにここにやって来たんだ。なのに……さっきは無礼な態度をとって申し訳なかった』
『君がそう言うのならそうしよう。ただプライベートの場で自らの仕事に近い会話をするのは、君を酷く消耗させるかもしれない。そのときは別の話題に変えたい。いいかな?』
『それで構わない。俺も場の空気をおかしくするのは、もう勘弁だ』
『みんな、それでいいかな?』全員が、うんうんと頷いた。
『では、始めようか。さっき根本的なことを見つめ直す必要があると言ったが、そもそも罪とは一体なにを指しているんだろうか?』
『まあ、一般論では、法を犯すこと全般だろうな。でも、先生の言っていることは、そんなことじゃないんだろう?』と、ひとりが答えた。
『法は国や世界の規律として、重要な役割を担っているのは疑いようのない事実だ。だが、法を犯すことだけが罪なんだろうか?』僕は自身の罪が突きつけられたような気持ちになってしまった。
『思いつきだけど、誰かを陥れたり、笑えない嘘を吐いて人を傷つけたり、無責任な誹謗中傷や根拠のない噂話も罪だと思うな。ちょっとずれるけど、誰かが成功したり勝利したりすると、反対側には敗者が存在する。それも罪かもしれない』と誰かが言った。
『なるほど。その通りだと僕も思う。では、意識的無意識的に関わらず、誰のことも傷つけず、迷惑を掛けずに暮らすことは可能なんだろうか?』と先生が問い掛けた。
『不可能だな』と誰かが言い、全員が頷いた。
『ということは……賢明な諸君なら、わかっているだろう?』
『全員が罪人だ』と二、三人が声を合わせ言った。
『かなりの極論だよなあ?』と先生は言った。
『おい!先生が言わせたんじゃないか!』と、その二、三人が突っ込んだ。
『冗談だよ。すまないね、笑いのセンスがなくて。それはそうとして、そろそろ僕のことを先生と呼ぶのは止めにしないか?学生時代はキャラとして、自ら受け入れているところもあったんだが、さすがに……この歳になるとね……』
『それは僕らの自由だろう。先生を傷つけているのなら止めるし、尊敬できなくなったら、自然に呼び捨てにするよ。おい、田中ってね』と誰かが言った。
『いや、傷ついてはいない。ただ恥ずかしいだけなんだ』
『じゃあ、堪えてくれ』
『わかった……堪えます』
『そんなコントじみた物を観に来たんじゃないんだよ。罪の話の続きを聴かせてくれ』と誰かが先を促した。
『では……仕切り直すよ。さっきの極論なんだが、ときにはそこから物事の本質を導き出すことができる。全員が罪人、という前提に立てれば、お互い様の気持ちになれる。ごめんねとありがとうが溢れるようになる。それはなんでもかんでも赦すっていうのとは違って、互いの立場や環境をせめて理解はしようと努めることに繋がるんじゃないか。そこから協力や寛容さが育まれ、社会が成熟していくと思うんだ』
『それは、罪に罰は必要としていないということを示唆しているのか?』と誰かが尋ねた。
『全く違うとは言えない。的を刑事罰に絞るが、僕は現在の罰の在り方に、ただ懐疑的なんだ』
『懐疑的ではあるけど、断定はできない?』
『まあ、そういうことだね。A、君からみんなに説明して欲しいことがある。現在の懲役刑の実態と再犯率について。いいかな?』Aは、わかった、と言って、
『まずは懲役刑から話そう。みんなもわかっていると思うが、有期懲役と無期懲役がある。どちらも刑務所での過ごし方に違いはない。閉鎖環境に置かれ、刑務官の監視下で、ほとんどの自由を奪われることになる。それは国の意志だけでなく、被害者心情を慮るという側面もある。具体的に受刑者へなにが行われているのか。大枠では矯正処遇で、社会生活に適応できる能力を育成することを目的としている。目的達成の手段は三つある。一つ目は刑務作業、二つ目は改善指導、三つ目は教科指導だ。これらの詳細を説明する必要はないだろう?』と皆に確認した。誰もが大体の想像はできていたから、口を挟む者は居なかった。
『続いては再犯率についてだ。満期で釈放された受刑者が再度犯罪を起こし、五年以内に再入所する率は、実に五十%を超える』マジか……とか、なんだそれとか、皆口々に呆れの言葉を吐いた。Aは、先生が俺に言わせたいのは、それだけじゃない、と言って、
『矯正関係経費の予算は二千三百億円を超えていて、受刑者ひとりあたりは年間三百万円程度掛かっていることになる。これは単純比較だが、生活保護受給者と並べると二倍のコストが掛かっているんだ』と続けた。
『オーマイガー』
『やっちゃってんね。これは』とか、何人かが口を開いた。
『最低限の基本的人権は守られ、雨風を防げる部屋の中で暮らせるんだろう。再犯率が高いのは理解できる』と誰かが言った。Aは、
『さっきも言ったが、犯罪率は低下している。二千三百億円の予算も低下していくという考え方もできる。一方で日本の経済格差は広がるばかりだ。貧富の差が広がれば広がるほど、治安が悪化するという国際的な傾向があるのは事実だ。日本人の国民性から一概にそれを当て嵌めるのは強引かもしれないが、危険性は考慮すべきだ』と言い、先生が俺に言わせたいのは、これらだけじゃないだろう?と続けた。
『君のコンディション次第だとは思っていたんだが、それは僕の考え過ぎだったことがわかった。続きは僕が引き受けるよ。さっき厳罰化という言葉が出たが、日本での極刑は死刑だ。僕は他国と日本を単純に同じ指標で比較するのは好まないんだが、先進国と呼ばれる国で死刑制度があるのは、日本とアメリカと韓国だけだ。しかしアメリカ全土ではない。複数の州では廃止されている。韓国では制度はあるものの随分な期間に渡って執行されていない。死刑制度廃止を実行した国々の多くは倫理観や宗教観によるものであり、冤罪の場合には取り返しが効かないという側面もある。
 日本での、ある世論調査では死刑容認者が八割を超えている。一方で死刑は廃止すべきと答えた者は一割に満たない。これは、日本人に倫理観が欠けていることを示唆するものなのだろうか。それともほぼ無宗教国家と言えるからなんだろうか?
 僕は、そのどちらも否定しない。だが僕はそれらに関わらず、理屈抜きで、国による死刑執行が罪を贖うことに繋がるとは、どうしても思えないんだ。理屈をこねるならば、死刑は国が合法的に殺人を行うということだ。個人に許されていないのに、なぜ、国には許されているのだろうか。死刑が確定した瞬間に、幾ばくか救われる被害者遺族が居るのは事実だ。しかし、実際に死刑が執行されると、被害者遺族の少なからずが、反転するように、決して乗り越えることのできない酷い苦しみを抱え続けているのも事実だ。加えて、どれだけ覚悟を決めていたとしても、執行役に指名された刑務官の心には傷を残している』
『つまり先生は死刑廃止論者ということなのか?』とAが問うた。
『僕は、その道の専門家ではないからね。確信は持てていない。ただ、罰の在り方、罪への贖い方には、別のアプローチ方法があるのではないかとは思っている』
『それはなんなんだ』とAが尋ねた。
『そもそも僕は矯正という言葉に違和感を持っている。矯正には、欠点を直すこと、正常な状態に正すという意味がある。僕は、皆に語ったことがあるだろう。できること、できていることを徹底的に伸ばすことにこそ活路があるって話ね。欠点、つまりできないことに焦点を当て過ぎることで反作用が起きることがある。それが再犯率の高さに現れているのかもしれない。
 国は僕らに等しく教育を施すだろう。残念ながら環境が影響して、きちんとした教育が受けられない子供は少なくない。それは現在の教育制度、社会システムへ問題があると言わざるを得ない。そして教育は決して、子供へだけ必要とされているものではない。社会人になって、企業で研修を受けることも、その一例だ。さて、話を受刑者の矯正に戻そう。矯正という言葉を、再教育、学び直しに置き換えるだけで、意味や目的や手段が変わるとは思わないか?
 これも極論だが、再教育、学び直しにおいて、基準を満たした者は釈放し、満たさない者は釈放しない。すなわち、裁判で確定させるものは有罪か無罪かに限られ、刑期は再教育、学び直しの習熟度次第となる』皆が、かなりの時間、先生から発せられた考えを想像し、検討していた。
 テーマを投げ掛けたAは、こんな風に自問自答を繰り返していた。
『先生が言っているのは、裁判で確定した刑期を満了することには、最早意味を見出せないということだろうし、受刑者に罰を与えるのではなく、期限の設けられていない再教育を施す、いや違うな、加害者の自己責任を追及するだけではなく国が責任を持つということかもしれないし、被害者がひとりでも減ることを目的とする、ということなんだろう。釈放のレベルに達しない受刑者には、罪の内容に関わらず無期刑と変わらなくなるから、もしかすると犯罪抑止力は強大になるかもしれない。いや先生は犯罪抑止力を考えている訳ではないか……』
『具体的には、どんな再教育になるんだろうか?」と誰かが先生へ尋ねた。
『僕の考えは以上だ。実際的に運用可能な方策はAが未来を想像し、検討と検証を重ねた方が余程、役に立つ』と先生は言った。Aは、最後にと言って、こう尋ねた。
『それを実現するためにはなにが不可欠なんだろう?』
『……愛情だよ……』と皆を包み込む優しい言葉で先生は応じ、こう続けた。
『そして罪人を受け入れる社会を創る行動だ』
 
 僕は、それまで一言も発しなかった。ただ皆の会話を聴いていただけだった。その頃、経済分野の記事執筆の依頼があったばかりだったから、テーマに準えて、先生に質問した。
『その犯罪率を高める危険性のある貧富の差は、どうやって縮めるんだろう?』
『これから話すことは、ただの一例で過ぎないことを理解して欲しい。資本主義や経済は複雑で難解だ。世界の誰も正解を導き出していないことで、それはより一層明らかになっている。
 では、始めよう。君らに話すべくもないことだが、経済とはつまりお金を循環させることだ。現代社会では一部の資本家を含む富裕層がお金を貯め込み、遣わなくなっている。経済は停滞し、税収も増えない。経済の停滞は賃金の伸びを悪化させ、税収が増えないことには、貧しい人々への再分配ができない。負のスパイラルだ。
 国はできうる限り、人々を公平に暮らせるよう法整備を行うために存在しているという一面があるが、たまたま資産家の許に生まれ、資産を相続し運用するだけで生計を立てられる人が少なからず存在しているのを認めている。これは公平と言えるのだろうか?
 そこでだ、またもや僕は極論を言う。解釈は皆それぞれに任せる。富裕層へ半強制的に現預金を遣わせる法整備を行う。一定期間以上、例えば一億円とか二億円とか、貯め込んで遣わない場合は貯蓄税を適用させ、過半数以上の現預金を納めて貰う。更に、死後の現預金と金融資産の相続には上限を設け、上限を超えた全額も納めて貰う。生前相続も同様だ。つまり最低限必要な家や店舗などの資産は相続できるが、現預金と金融資産の多くは納税して貰うことになる。ここで言う最低限必要なものには、老舗旅館や老舗料亭、酒蔵など伝統的で持続性や家督性が必要な文化的事業継承は含まれる。こうすれば、大体の人々は遣うんじゃないか?抜け道はあるよ。タンス貯金にするとかね。ただそれこそ犯罪だ。リスクを覚悟の上でやりたいならやればいい。
 一方で富裕層には富裕層なりの言い分があるだろう。行政が税収のまともな扱いができるとは思えないとかね。そういう考え方をできる人物ならば、貯め込むことなく、素晴らしい遣い道を自ら選べばいい。別の考え方をする人物も居るだろう。自分の努力で稼いだお金をなんで他人のために遣わなくてはならないんだとかね。反発が相当数あるのは想定できるが、自分の努力だけで稼いだお金だと言い切れるのは、とんだ思い違いだとは思わないか?起業したり、労働したり、投資したり、そこから得られたお金は、いろんな外部的要因が積み重なった結果だ。もっと言えば、その人物がお金を得られたのは、たまたま日本に生まれ、様々な巡り合わせの運に恵まれたからだ。言葉が過ぎるかもしれないが、貯め込んだお金に執着する人物は、本物ではないから相手にする必要を感じない。
 貯蓄税は全ての企業にも適用させる。これは留保金課税と呼ばれるものだ。いまは特定同族会社への適用に留まっているが、すべての企業へ適用させれば、四百兆円を超える留保額を企業は投資に回すか、従業員に給与か賞与として与えることになるだろう。むしろ、納税させるよりもそっちの方が狙いと言ってもいい。話を纏めると、お金持ちには生きている間にほとんど全てのお金を遣い切って貰うってことだ』僕も経済については多少勉強していたから、先生の言ったことで知らないことはあっても、理解できないことはなかった。
『それが実現されたら銀行は不要となるかもな』とひとりが呟いた。
『いや、そうとは言い切れない。彼らも生き残りをかけて、勝負に出るだろうと思っている。富裕層にお金を遣わせることが目的なのだから、なにを買えばいいのかとか、コンサルティングはできる。ただ、いま以上に銀行の統廃合は進み、質のよい銀行だけが残るのは間違いない』
『つまりは中央集権国家を作るべきだと示唆しているのか?』と、誰かが問うた。
『いや、そうではない。現行の民主主義と資本主義の限界には誰もが気づいているはずだ。民主主義は言わば多数決性であり、マイノリティーの意見を排除する可能性を孕んでいるし、低成長時代である現代の資本主義は貧富の差を拡大するばかりだ。中央集権的な社会主義では権力の乱用と政治腐敗が横行し、情報統制が民衆の自由を奪っている。
 しかし、それぞれにいいところはある。民主主義は民衆による権力への監視であり、資本主義は市場競争の原理だ。現行の社会主義では行われているようには思えないが、権力ではなく情報の集中と公平な分配がイデオロギー上は可能だ。優位点を集め合わせることで、新たな主義が生まれることだろう。いや、それは最早主義ですらなく、ただのシステムだから名称は必要としない。未来永劫持続可能な主義やシステムなんて存在しないし、流動的であることにこそ意味がある。そして国民性から言って、日本が最も、そのスタートアップに相応しいと僕は思っている』
 
 詠子さん、これが先生の言っていた罪にまつわる話なんだけど、ごめんね、流れ上、罰やら経済にも触れてしまった」
「むしろ助かったくらい。私の無自覚で知らないことが多過ぎるのも罪よね。罰……大人に学び直しか……不可欠なのは愛情……なんか私の覚悟が揺らいだわ。それはそうと、翔一くんの記憶力は凄いね」
「記憶力は悪い方ではないとは思うんだけど、余程のエピソードでなければ、先生から発せられた言葉以外は覚えてはいないよ。実際、先生以外のほとんどは誰が言ったのか、わからないから僕の脚色が入っている」
「あのコントみたいな箇所?」
「少し、大袈裟にはしたね」
「翔一くんにも、そういうとこがあるのね。なんか安心した」
「詠子さんを安心させられる要素が、もうひとつある」
「あら、なにかしら?」
「僕がつきあっていた彼女の話をしたでしょう。あれからしばらくして先生に会う機会があったんだ。僕の顔色の悪さに先生はなにかを察知したんだと思う。病気が変容していることはおそらく伝わっていた。消えてしまいたいという衝動はあったしね。先生は、君の住む物件はペットの飼育は可能なのか?と言った。質問の意味はわからなかったんだけど、まあ、飼っている人が居るから、可能なんだろうね、と答えたんだ。先生は、君、社会貢献しないか?と言ってから、犬や猫の譲渡会の話を始めたんだ。そして、先生は、君は犬か猫を育てた方がいいと思う、と言った。なんの脈絡もない話だったんけど、譲渡会でまずは見学するだけと言われて、数日後に行くことになった。先生は道中に、犬は散歩とか人間への依存度が高いから、君には猫の方がいいかもしれない、と言った。
 一目惚れってあるんだってことがわかった。茶トラの子猫だったんだけど、可愛くて可愛くて、思わず泣いちゃった。もう僕の心は決まっていたんだけど、その猫と僕が共存できるかのトライアル期間が必要だった。受け入れる準備をしながら、うちにやって来る日をドキドキしながら待った。結果は良好で、譲渡して貰うことになった。小さな命を預かることで責任感が生まれ、毎日世話をすることで暮らしにいいリズムができた。もちろん、いまも育てているんだけど、僕の方こそ育てられているのかもしれない。それから消えてしまいたいって衝動は随分と減ったんだ」
「確かに、それには随分と安心させられるな。うちも実家には猫ちゃん居るのよ。とっても可愛い。名前呼んで来ることもあれば、無視されることもある。適度な距離感よね。ちなみに、翔一くんのとこの子はなんて名前なの?」
「愛着心が湧いて安心感がある名前がいいなと思ってね。弟の名前をアレンジしたんだ。弟には助けられてきたから、名前をアレンジすることは彼の分身と一緒に暮らしていくことに思えた。弟の名前はカンというんだ。寛容さの寛ね。読み方を変えて、ひろし、と名づけた」
「オス猫なんだね。猫なのに、ひろしって、随分と……えっ、猫ひろし?もーふざけないでよ」
「いや、ふざけていないんだよ。結果的にそうなっちゃったんだ。僕も弟に爆笑されるまで、気がつかなかったくらいなんだから」
「ふーん。信じないけどね」

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