見出し画像

読んだ本の感想(最近)

『哲学と宗教全史』出口治明 著
#広く遍く拾ってある名著 #

ホモデウスを読んだときと、同様の感覚になりました。
知らないことを知る悦びですね。
本書にこんなことは一言も書いていなかったかもしれませんが、私は『文明は発展したが、ヒトは一歩足りとも前進していない』そんな風に読み取りました。
それを悲観的に捉えるか、ありのままに捉えるか、可能性を諦めないか。
少なくとも私は絶望視はしていません。
こういう本を書いて下さる方が居る限り、まだまだ世の中捨てたもんじゃないよと思わせてくれました。
いい本に出会えた奇跡と筆者の出口さんへ感謝します。
ありがとうございますm(__)m

『つみびと』山田詠美 著
#幸福という名の呪縛 #

読み始めは、祖母、母、幼子の視点が頻繁に入れ替わるのと、幼子の言葉についていけず、物語に入り込むのに苦労しました。しかし、しばしすると慣れてするすると読めました。それは山田詠美さんの説明臭さが全くないからでしょう。
山田詠美さんは答えは用意していませんし、答えなどあるはずもありませんが、この事件は誰が誰を悪いと言えるのでしょうか、悪いと言えば幼子を除くほとんどの登場人物が悪い。
遺伝子や環境がいろんなことに影響するでしょう。
他者への優しさ、自己肯定、愛したり、愛されたりすること。
この物語を負の連鎖で、当然と捉えることもできます。
しかし、良くない父親、良くない母親に育てられた子供が親になった場合、自らの環境を跳ね返し、愛情を掛けて子育てしている人々も沢山居ます。
負に転ぶか、正に転ぶか、己一人のチカラだけではどうにもならなくて、その時近くに居る人の影響も大きいと思います。
この物語を読んで改めて思ったのは、虐待やネグレクトだから親が悪いという短絡的な思考による非難や報道は何も生み出さないばかりか、人間らしい想像力を培うことを奪い、人の痛みや苦しみに寄り添えない人々を作り続けるだろうということ。

物語の最後に、蓮音が琴音に「幸せ」と言わせます。現代において『幸せ』の呪縛は大きい。
何が大切かと問われれば、お金や家族や…まあ色々とあるでしょう。その前提として『幸せ』であることは、当たり前のように我々の前に横たわっています。
不幸せであることは許されず、さも幸せでなければならないような同調圧力が、あちらこちらに見受けられます。
昔なら村の中に、いまはネットの中に。
『幸せ』には絶対的幸福と相対的幸福とがあります。
絶対的幸福は、大切な人に大切だと思われ守られることによってのみ発生します。この物語の親子関係には存在しなかったものです。だから最後の台詞は虚しく響きます。
相対的幸福は、誰かと比べることで発生します。誰と結婚したのか、社会的立場や、乗っている車やファッション…
この物語の中でも度々このふたつは顔を出しますが、時に人は、どちらが本当に大切なのか、わからなくなります。

『幸せ』の呪縛…

ある意味では、現代の病巣はここにもあるのではないでしょうか。

『決壊』平野啓一郎 著
#分からない #

この作品は小説として、真っ当になりたっています。
それ故、読後に私は自身のメンタルが瓦解しそうになりました。
崇は、この物語に登場してあまり間がないタイミングで、自身の住むマンションのベランダから飛び降りて死ぬまでの数秒と数十年後に死ぬことに何が違うのかと、自問する箇所があります。私はその描写が、読み進めていく間、ずっと通奏低音の様に流れ続けました。
崇の父親が鬱病として描かれていますが、私自身が躁鬱を患っていますので、筆者がよく調べて書き記しているのが、分かりました。
崇は決壊を起こしましたが、取ってつければ色んな理由が該当するのでしょう。
個人の意思を、感情を一言で語ることはできません。
しかし世の中の大勢は、個人をカテゴライズしたがります。それは、未知のものを拒否し、ある場合は恐れ、ある場合は過剰に評価し、ある場合は卑下することに繋がります。崇に関わらず誰もがいろんなものが、ごちゃ混ぜになって、知らず知らずのうちに作り上げられているものです。それは、最早当人の思惑からは遠く離れた場所にあるのかもしれません。
気付いた時には、取り返しのつかない場合もあるでしょう。
私は躁鬱病を患っていると、わざわざ書きました。
同病者や鬱病の方は、この作品は余程調子の良い時でない限り手に取ることは避けた方が賢明かもしれません。
筆者の選んだ単語、その組み合わせ、構成、物語そのものの引力は相当なものです。
私は、自身がぐらついてる時に読み始めたものですから、その引力から離れることが出来ませんでした。
小説を読んで、ここまで打ちのめされたのは初めてでした。
レビューのタイトルに「分からない」と書きましたが、この言葉は、本文中に何度も出てきます。
詰まるところ、この物語が提示しているのは「分からない」ということなんだと思います。
このレビューを読んで下さった方の横にいる人のことをあなたは、どれだけ知っているでしょうか?
そして、自分のことをどれだけ知っているでしょうか?

『ドーン』平野啓一郎 著
#決壊からのドーン #

前作『決壊』は救いのない物語でしたが、今作『ドーン』は、少々強引にカタルシスを持ってきた印象を受けました。電車に飛び込もうとし、助けられるエピソードは『決壊』と対照的に描く上で必要だったのでしょう。
『決壊』の中では分人主義という言葉は出ずとも、登場人物の語りやストーリー展開で読者に訴えるものがありました。『ドーン』では分人主義という単語が、多用され食傷気味…
『決壊』は救いはなくとも、真に迫ったというか、真を突き尽かされました。その分読後にはダメージが残りました…
『ドーン』は作者の主義主張を述べる為には必要な作品であったのでしょうが、小説という形式に載せざるを得ない切実さは感じませんでした。
また、分人主義という考え方は、昔から八方美人などの言葉があるように、別段新しい発見でもありません。
それをアメリカ大統領選挙や有人火星探査機という大袈裟なモチーフの中で延々と語る必要があったのか疑問です。
小説というのは、語るべきところは語り、語らざるべきことは語らず読者に委ねるという落差が必要なものと、私は考えています。『ドーン』は語りすぎです。しかも、かなりのしつこさで。
宇宙船という密閉空間で六人のクルーが二年半過ごすという過酷な環境を、特に精神面でのキツさを描ききったのは、さすがの筆力だなと感服しました。
最後に…
この作品『ドーン』は小説の形を借りた平野啓一郎さんの演説本と捉えた方が良いでしょう。
『決壊』が後味悪くとも、小説でなければならなかった切実さがあったのとは対照的です。難解な言葉や文章を遣い、読者の体力を使わせるのには見合わない内容です。
私の小説を読むにあたっての分人の魂は何も揺さぶられませんでした。

『かたちだけの愛』平野啓一郎 著
#恋愛指南書に感じてしまう #

私はいま、分人シリーズを出版の順番通りに読んでいます。レビューも読んだ作品毎に書いています。
『決壊』『ドーン』そしてこの「かたちだけの愛』
『決壊』の読後は酷いダメージを受けましたが、それは作品そのものが、もちろん登場人物も、切実であったからです。
『ドーン』は作者の分人主義の指南書
『かたちだけの愛』は作者の考える恋愛指南
この二作品は小説である必要性を感じませんでした。
私は『マチネの終わりに』を最初に読んで、平野啓一郎さんの作品に向き合い始めました。成熟した大人の、一言では表せない、恋愛小説だなとつい最近まで思ってました。
しかし、平野啓一郎さんの分人シリーズを読み進めていくと、作者のご都合主義が鼻に付くな、と感想が変遷していきました。
どの作品も主要登場人物は皆が皆、一流の仕事人や天才ばかりです。一流作家である平野啓一郎さんの主張を登場人物に語らせないといけないので、そうならざるを得ないのでしょう。
この『かたちだけの愛』も片脚を切断する羽目にはなりましたが、誰もが羨むような美貌を持つ女優、恋する相手は一流のプロダクトデザイナー。
平野啓一郎さんは、当然芸能界のこともプロダクトデザイナーのことも勉強されたのでしょう。
しかし、幾つかの作品を読み進めていくと、そのお勉強の結果を小説という形を借りて披露されている感じを受けるのです。
私は平野啓一郎さんの理路整然とした構成も文体も好きです。修飾語が多いのは少々辟易としますが…
小説というのは、一定数の読者にとっては非日常的なモノである必要はあるのでしょう。
しかし私は平野啓一郎さんという作家を追っています。
平野啓一郎さんが色んな経験や勉強をされて歳を重ねているのと同じように、私も歳を重ねているのです。
追っているのは小説(作品)だけではないのです、作家そのものなんです。
そういう読者も少なくないと思います。
一流や天才ではない、どこにでも居る人の切実な物語が紡がれるのを勝手に待っています。
※既にそういう作品があるなら、すみません…

『空白を満たしなさい』平野啓一郎 著
#分人シリーズ読了 #

「決壊」「ドーン」「かたちだけの愛」そしてこの作品「空白を満たしなさい」
一週間くらいで、この四作品を読みました。
そして、読了の度に自身の整理のためにレビューを書いています。
前の三作品は、主要登場人物が天才やその道の一流と呼ばれる人々ばかりで、非日常感が強かったのですが、今作は一変して普通の家庭が舞台です。
しかし、死者が生き返るという設定が飛躍というか、なんで??と平野啓一郎さんの意図が最後まで分かりませんでした。
ストーリー展開はぐいぐいと惹き込まれましたが、分人シリーズ締めくくりであるが故か、分人の説明がくどいのです。平野啓一郎さんの作品は計六作品読みましたが、どれもこれも勉強されたことだったり、主張だったりが、これでもかと、会話でも地の文でも説明しつくされています。
「ドーン」のレビューで書きましたが、分人主義って新しい発想でも考え方でもありません。
個人の中にいろんな自分が居るのって、当たり前です。誰も一貫性なんてないし、その場その場の顔がある。不寛容な世の中を憂いて、敢えて分人主義なる言葉を作り出して疲弊した人々の溜飲を下げようということでしょうか。
話は戻りますが、設定は別にして物語は良いのに、後に残るものがないんです。余韻が全くない。
それは当然です。平野啓一郎さんが、説明に説明を重ねて一切の余白を許さず塗り潰しているからです。
私は作者と読者は対等であると思っています。
全部書けば良いってものではないはずです。
読者に何も委ねないっていうのは、行間を読む楽しみを奪い、想像させることを許さない傲慢さと捉えています。
まだ平野啓一郎さんの作品で読んでいないものが幾つもあります。その中でなにか「!」があるのを期待しています。
………………………………………………………………

取り敢えずは、ここまで。
かなり上から目線の感想ばかりだなと……
振り返ると反省せざるを得ない言葉遣いばかり。
それでも、読んだら、書きたい。
それが、頭ん中の整理整頓に繋がる。
まだまだ、読みますよー!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?