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極景-3-

#断り書きのようなもの#
 
 この物語――沸点と氷点――は僕が中学生のときに知り合った『先生』と皆に呼ばれる友人からの依頼とは言えない、ある側面では成り行きとも言える理由で書くことになった。その経緯は後述する。僕は自らが筆者なのに、公開の責任を取れるのか、まるでわかっていない。しかしながら、どんな行動にも得てしてそういう性質があるだろう。世に出てからの反応が全てだと割り切り、まずは書くことに専念するしかない。
 先生からの要望はふたつあった。
 第一は僕を主人公とした物語を成り立たせること。
 第二は僕のこと、先生のことを表現する折に、綺麗事や、ただの美談にならないように最善の注意を払うこと。
 僕はモノを書くことを生業にしているが、物語は書いたことがないし、ルポライターやノンフィクション作家とも決して言えない職種だ。僕の仕事は、編集者から求められたモノを調べ、取材して、ただ文章に起こす作業のみに限られている。
 最近では自らの関心事が教育や家庭の抱える問題に向かっているが、その関心事が僕自身の経済面を支えるほどのものにはなっていない。狭いつきあいの中では、ライターとしてだけ認識されているし自覚もしているが、自らの嗜好性のようなものが、そちらへ止め処なく変遷している。だからこそ先生の許へと足繁く通うことにした。いや――その実は僕の大切な、それはとても大切で――掛け替えのない先生に、ただ会いたかった、ただ顔を見たかった。ジャーナリスティックな理由なんて二の次、三の次ですらなかった。
 物語を書ける自信なんかないし僕が登場するなんておかしい、とはっきり言ったが、先生はふっと笑い、それが君にもたらすものが必ずある、安心してくれたまえ、といつも通りの揺らぎが一切ない視線で見つめられた。自分のことは微塵も信じられないが、先生の言うことなら無条件に信じてしまう。それは……先生にはずっと救われ続けたからだ。
 多くの読者が居るなら喜ばしいことだが、混乱を招くだけではないかとも危惧している。しかし、ほとんどの読者は賢明なはずだ。なにかがある、と思えば読了するだろうし、つまらない話だ、と思えば途中で投げ出すだろう。感想は多様な方が健全だと思う。

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