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極景-4-

 #僕と先生#
 
 僕は地元の公立小学校に入った後、五年生頃になってから、中学受験を意識し始めた。学校の勉強はできた方だったが、地元の友達が少なくなかったから迷いはあった。そのまま公立中学校に入ってからも、そのときの感じで勉強していれば、それなりの高校に進学できる見通しとまではいかないが、根拠のない自信はあった。でも、環境を変えたかった。いわゆる普通で居たくなかった。いま思えば、ませていたし自意識の強い子供だったと思う。その自意識の強さは変わっていないどころか、もう完全に拗らせていると言って間違いない。そのお陰で何度も失敗したし、他者を傷つけてしまってから、愕然とすることも少なくない。
 中学受験は四校だった。父と母を説得して受けさせて貰った。父は公立で多様な友人たちに揉まれて過ごした方が大人になった後に強く耐え忍ぶ力を身につけられるという考え方を持っていた。言葉を換えれば、賢く、ある一定以上の収入を持つ家庭の子供たちとばかり過ごしていたら画一的な考え方しかできない大人に育つという風なことを言った。
 一方、母は、それは小学校でもう学んでいるから、いいんじゃないのと、最初から僕の選択を認めてくれていた。母の後押しもあったが、父は意見を言わなくてはならない場面だったから、言ってみただけという風情で、全く抵抗はされなかった。もとより、どこの家庭でもそうかもしれないが、母の方が子供の将来を考えているものだ。我が家では父の存在は経済的な活動が中心で、子育てを含めて家のことを日々回すのは、間違いなく母ひとりの手によってなされていた。僕には弟がひとり居る。ひとつ違いの年子で、弟は自ら望んで地元の中学校に進んだ。似ている部分も多いが、兄弟でも考え方も選択肢も違う。
 僕は私立中学三校と国立大学付属中学を一校受験した。私立二校と国立に受かった。私立は中高一貫だが、国立は小中一貫の外部進学生の扱いだった。その後に付属高校に進むこともできるが成績は上位三分の一に入っている必要があった。楽なのは私立だったし、大学への内部進学もある学校だった。僕は国立に惹かれた。私立は無数にあるが、国立は数えられるほどしかないのだ。その希少価値で、自分の存在感も増すような錯覚で気分が高揚した。
 母は、私立の方がいいんじゃないの、と言いはしたが、強く押してくる感じでもなかった。僕が、国立に行きたいんだと言うと、いろいろ苦労するかもしれないけど、頑張ってと、背中をポンと押しくれた。

 先生と出会ったのはたまたま同じクラスだったからだった。先生は彼が小学生の頃から既に先生と呼ばれていた。多くが内部進学生の占める中、その呼び名はあだ名やニックネームとは明らかに異質だった。
 先生の佇まいには小学校を卒業したばかりの児童の名残は、ほとんど感じられなかった。髪はきちんと六四に分けられていたし、横の少し長い部分は耳に掛けられていた。女子に話し掛けられる、そんな一瞬、思春期特有の躊躇いの表情、そういう場合に限って年齢相応な緊張を見受けることができた。もちろん、呼び名は、夏目漱石の『こころ』に由来している。
 僕は『こころ』を夏休みの読書感想文作成のため、自ら選んで読んだことがあった。一緒に本屋さんに行った母からは、早いんじゃないのと、当然のように言われた。僕は日本で最も読まれている本のひとつであるという記事を見ていて、自意識が強かったのも相まって、止められれば止められるほど、『こころ』に拘ったことをはっきりと覚えているのに、肝心の内容と言えば、主人公と先生の暗い話だった……くらいにしか覚えていないし、感想らしいものは全く持てなかったいまの自分には理解の及ばない文学があることを知った。軽い挫折を味わったが、小学生なのだ。そんなことはすぐに忘れて、別の小学生らしい本へ買い替えに行き、なにかを書いた。間違いなく大したことは書いていない。僕には自分のうまくいったことは記憶し反芻し悦に入る傾向がある。覚えていないということは、そういうことだ。
 先生と呼ばれる彼に、そう呼ぶ同級生のことにも、ひどく嫉妬した。彼ら彼女らは、僕よりも文学を知っているのだ。ただ読むだけではなく、その本質を理解している。国立小学校というのは、そういう知性、感性を持った児童が通っている。中学から入った僕に逆転の可能性はあるのだろうか。あるいはついていけるのだろうか。不安になった。
 ほとんどの外部進学生が馴染んでいく中、僕はなかなかクラスに溶け込むことができなかった。クラスメート達は、公立と比べると皆が皆、親切で接し方は丁寧だったし、コミュニケーションの取り方は洗練されていた。僕のナイーブさを、無理にこじ開けようとする者は居なかったし、取り残されるようなことも全くなかった。授業の進め方に慣れないときは隣の生徒が親切に説明してくれたし、教師も内部進学、外部進学に関わらず、自然に接するようにしてくれていた。いい意味で特別扱いはされなかったように思う。
 彼らの会話は大体において知的だった。ときにはもちろん子供らしいゲームの話やアイドルの話もあるのだが、小競り合いのようなものはほとんど存在せず、自然体で互いを尊重し、誰かを否定するようなことはほとんどなかった。もちろん全ての生徒がそういう社会性や寛容さを持ち合わせていた訳ではなかったのだが、クラスや学校全体を覆う雰囲気は公立とは明らかに違った。幼稚園のときに小学受験を経験し合格を勝ち取り、国立の小学校を任せられている教師に出会い教育を受けていたというのは明らかな違いを生むことを知った。父の言っていた言葉、画一的な考え方になるというのとは正反対で、生徒それぞれの違いを受け入れる寛容さと切磋琢磨する環境の両方を備えていた。
 
 少しばかり、国立大学付属小学校と中学校の使命やら役割について触れておきたい。日本における全ての学校は、文部科学省の規定する学習指導要領やガイドラインに沿って教育を行う機関という意味ではなにも変わらない。
 国立の違いは新しい教育の研究開発を目的とした実験校であるという点だ。中学から入った僕には関係のないことだが、小学受験の選抜方法は少しばかり複雑だ。ただ賢ければよいというものではない。私立の上位校に受かるような学力の高い子供たちでも、選抜されないということは頻繁にある話だ。試験を受けるための抽選があり、試験を通過した後にも、また抽選があるという学校もある。かなりの運任せだ。それへ対して国はきちんとした理論を持ち合わせている。成績上位の子供だけを集めてしまうと、実験、研究対象に偏りが発生し、標準的とは言えない研究結果になるリスクが高くなるし、それは将来において全国の学校にその研究成果を展開する折に、実験母集団に偏りがある限り信憑性が低いと見なされ同意を得られない事態を起こす可能性があるからだ。
 試験に通過した子供たちの共通点はある。もちろん実験に適しているかどうかということだろうし、これは僕の感性の問題だろうが、二度の抽選を通過する幸運を持ち合わせているというのは、ただの偶然ではないように思う。
 過去には、賛否を巻き起こした、ゆとり教育の実験が行われていたこともあるが、通っている児童、生徒はもちろんのこと保護者にも、そのときなにの実験が行われているのかは明示されることはなかった。僕の時代とは変わり、いまでは数年分はどこの学校でなんの研究が行われているのか、いたのかを文部科学省のホームページで閲覧できるようになっている。
 私立のように営利目的ではないため、進学校のような受験対策のようなことは行われない。授業についていけなくなる児童、生徒も少なからず居る。ハイレベルな授業ではあるが、それ以上に学習意欲が高い児童、生徒が多いのも事実だ。卒業生たちの多くが有名大学に進学する。その後の進路は様々だが、個性、特性を発揮し社会に貢献したり、多様な分野で著名となる者たちも少なくない。
 一方で、選抜方法への批判や意見が存在しているのも事実だ。そもそも学習意欲の高い子供たちを集めている時点で偏りが発生しているという指摘。それには子供たちの置かれている環境も影響しており、高収入の家庭には学習意欲を刺激する――主に教育熱心な母親や父親が存在している――一般的な家庭においては、そういう時間や金銭的な余裕がないという事実。
 卒業した生徒たちの少なからずがエリートと呼ばれるポジションに就いているという実例に因って、一般化できる実験成果とは言えないという指摘もあり、それを解決するために選抜方法は、あくまで抽選のみにするべきとの意見があるが、正反対の意見もある。
 国立は私立と比較すると、かなり安価で質の高い教育を受けることが可能だ。もし、選抜方法を抽選のみに絞った場合は、志望者が増加し当選倍率が上がることは想像に難くない。学習意欲の高い子供かつ経済的余裕のある家庭であれば私立を選ぶことになり、子供の学習意欲が高くとも経済的な余裕がない家庭の場合は、余程の幸運に恵まれない限り公立へ進み一般的な授業を受けざるを得なくなる。従って、経済格差が学力の向上へ大きく影響することになり、優秀な人材の総輩出数を減らすことに繋がる、という俯瞰的な意見があることも付しておこう。
 僕自身は国立で学習できたことへ感謝の念しかない。国からするとただの研究対象の一員でしかなかったのかもしれないが、尊敬できる教師も多かったし、知り合えた友人たちとの交流は掛け替えなく、いまの僕の支えとなっている。僕は公立校のことを否定している訳では全くない。昔もいまもどこの学校に行くのかは子供たちの自由になる場合もあれば、ならないことの方が山ほどある。公立か国立かなんて、子供たちが育っていく環境要素のひとつにしか過ぎないのだから、そこにフィットし、多種多様な友人や教師によっていい影響を受けられたら、それでいい。フィットするかどうかは、子供自身の力量だけではなく、もちろん大人の支援の有り様にも掛かっている。
 
 僕が、先生とクラスメート達と仲良くなることになったのには、僕のくだらない自意識が関係している。休憩時間に会話に参加するでもなく、かと言って蚊帳の外に居る訳でもないような感じだったときに知った。クラスメート達は、先生を『こころ』の登場人物に重ね合わせてはいるが、物語そのものを理解している訳ではなかったのだ。
「夏目漱石の『こころ』って、どんな話なの?」と、ある生徒が先生へ尋ねた。
「僕は、自分の読んだ本の要約や解説はしたくないんだよ。ごめんね」と先生は言った。話に割って入るのにはかなりの勇気が必要だったが、僕は思い切って口を開いた。
「先生はなんで先生と呼ばれているの?」
「そう言えばなんでだっけ」と、その場に居た皆は互いの顔を見合わせるようにして、言い合い、女子の誰かがこう答えた。
「確か道徳の授業のときだと思うんだけど、担任のS先生が言ったんじゃん。田中くんは、夏目漱石の『こころ』の先生とは真逆な感じがする、読んだことはあるかい?って訊いてさ。先生が、ありますよ、って答えて、少しの時間、ふたりで感想を交わしていたんだよね。私たちは、もう全くついていけない感じで。でもすごいことだけはわかって、わーって感じで拍手が起きた。誰が呼び始めたのかは……もう覚えていないんだけど、真逆とかは関係なくて、キャラ的に先生という呼び名が相応しいって、みんな納得したんだよね」田中というのは先生の本名だ、田中刑司と言う。そのときは別のクラスであったのだろう、できごとを知らない男子が質問した。
「俺はさ、小学生の頃はみんなが呼んでいるのを、ただ真似していただけなんだけど、最早ね、尊敬しているところばかりだから……先生って呼びたくて呼んでいるんだけどさ。その『こころ』の先生とは、なにが真逆なんだろう」それには先程の女子が答えた。
「真逆って、多分いい意味だよね。私は一度しか『こころ』は読んだことがないんだけど、『こころ』の先生ってさ、自分勝手な感じがしたんだよね。こっちの先生は優しいし、授業のことはもちろんだけど、私たちがわからないことがあって質問すると、ヒントや、答えへ導いてくれるようなきっかけを与えてくれるじゃない。確か主人公とその先生の間柄は私たちと似た感じだよね。いや……これじゃ真逆じゃないか……うーん」とその女子が唸っていると、先生が声を発した。
「仮に『こころ』の先生と僕が真逆だとしても、いい意味か、悪い意味かという二面性だけで捉えられる事柄ではないんだ。それに、主人公と先生は僕らほどのわかりやすい間柄でもないんだよ」みんなが少しずつ緊張してくるのが伝わってきた。その先の発言を待った。
「さっきも言ったけど、僕は誰に対しても本の要約や解説はしたくないんだ。それは作者に対して失礼な気がするというのもある。あんなに長い物語を書いて、数百文字で説明されるのだったならば、なぜその分量が必要だったのかってことになるじゃない?そこにはやっぱり物語である意義があるし、解説を聞いても、解説者の意見を聞いたことになるだけで、物語そのものを理解したことにはならないんだよ。どんな小説もそうなんだけど、書いて説明されていることもあれば、敢えて書かれていないこともある。ときには書かれていないことの方が余程重要な場合もあるんだ。自ら読んで文章を理解し、行間を、物語の全体像を自分なりに掴むことでよってのみ到達できる場所がある……とは言ってもね……国語の試験で要約の問題が出たら、書かなきゃならないときがある」と言って先生は照れ臭そうに笑い、みんなも緊張感から解放されたように笑顔になった。
 僕は、このときになってようやく、ここでやっていけるかもしれないという足掛かりを得た気分になった。先生を除くと、僕もみんなもそんなに変わらないと自意識が満たされていくのを感じた。先生へは、全く劣等感を持たなかったし、競う気持ちにもなれなかった。先生が圧倒的だったこともあるのだろうが、みんなと同じように惹かれ、先生のことをたくさん知りたくなった。もちろん異性に対するものとは全く違うが僕は先生のことを、それからどんどん好きになっていった。

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