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極景-17-

 ――極景――
 
 僕は、友人ひとりひとりに声を掛けて、打ち合わせをしたいことがある、と言った。誰も理由は尋ねてこなかった。都合を合わせ、ある友人宅へ集まった。
 僕の辿り着いた結論である先生の計画とその根拠を順追って説明した。皆、絶句したが、異論を挟む者は居なかった。友人女性のひとりが、翔一って、こんなだったっけ、まるで先生みたい、と言った。
 
 先生は、やるべきことを粛々と進めているようだった。ほぼ毎日のようにオンラインサロン上へ動画はアップされ続けた。幼児教育について、読書習慣がもたらす効能について、初等教育に携わる教員への期待やアドバイス、中学生のうちに学んでおいた方がよいと思われるもの、高等学校入試についての考察、これから求められる大学受験の姿、新卒一括採用の弊害とキャリアアップに有用であると考えていることなど、内容は多岐に渡っており、独演会にならないよう毎度ゲストを招き、意見交換の場としていた。
 新たに設けたチャットルームは会員同士を結びつけていき、プラットフォームは完成した。先生は会員の同意を得て、収益のほとんどをユネスコへオートマチックに振り込む仕様を施した。
 
 僕は僕で、やるべきことを粛々と進めた。作業は困難ではなかった。先生の真似をすればいいだけだった。来たるであろう、その日を待った。
 
 その日は、やはり落ち着かなかった。弱い僕は弱いままだった。頻繁にひろしへ声を掛けた。連絡は逐一メッセージで届き続けた。場所が概ね特定されて、部屋の外へ出た。
 空の上にあるはずの天国に向かって手を握り合わせた。
 
 その集落は廃村と呼んでも語弊がないように思えた。
 風景を眺めているうちに、ここか、なるほど、と腑に落ちた。
 宵闇が迫る村の空は八割方が雲に覆われ、雨の予兆かツバメが低空飛行していた。
 僕は落ち着きを概ね取り戻していたが、雲間に見える微かな月の輪郭を見つめ、さあ、いまからが本番だ、と胸の内で呟き、自らの背を押した。
 廃屋の窓ガラスは所々割れていた。扉へ手を掛けた。
 
 廃屋の中の先生の姿は、月の光を遮る雲の影響で朧げであったが、落胆しているように、僕の目には映った。
 
「どこまで想像できていたのかい」と僕は尋ねた。
「……途中まではいつも通りね、うまく進んでいると楽観視していた。判決は想定外だったが、大した問題ではなかった。僕にとって問題になったのは君の書いた物語だった。それは、君の計画通りだろう?
 僕の起こした事件をモチーフにして、君が学生時代のこと、会社員時代のことを書くことで、いい作用が出るタイミングが訪れていることはなんとなくだが、わかっていた。
 ……しかし君は衆目に晒す必要が全くない女性関係を記していた。
 僕は、あれが全て事実ではないこと、虚構であることを知っている。
 僕は、面会時に、ただの暗号として真実という言葉を遣った。
 僕にとっての真実はひとつだ。それは、誰かと共有するようなものではない。
 君は僕の思惑とは掛け離れた目的を持ち、手段として事実と虚構を織り交ぜ、自らにとっての真実、いや、この世界の理を炙り出そうと試みた。
 ……その試みは、どうやら上手くいったように僕の目には映った。
 ……覚悟に迷いが出た。
 そんな事象は僕の人生の中で一度も起きたことはないんだよ。
 いつも目的通りの場所に着地することができた。
 たとえ目隠しをされていたとしても、僕には余裕なはずだった。
 僕の計画を君が察知している蓋然性があることはわかっていた。
 でも、その蓋然性を僕は排除したし、君がそっとしておいてくれることを期待した。
 もう、限界なんだよ。
  計画を止めようもなかったんだ。
 ただ、消えてしまいたい。
 それが唯一、想像力を停止させる方法だろう?
 君は……僕を凌駕している……
 僕に十字架を背負わせたままで生きること……それを選ばす
 僕にはそれを拒むことができないことが君はわかっている。恐ろしい計画だ」
「そう思われても仕方がない。でも、違うんだよ。確かに僕は先生に生きて欲しい。それは僕の計画なんてものじゃない……ただの願いであり祈りなんだよ。先生が覚悟していたように、僕にも覚悟がある。十字架を一緒に背負わせて欲しい。先生は、そんなものは共有できるものじゃないと言うだろう。でも、一緒になって罪を贖い……奥さんや娘さんふたりのことを祈り続けることは……僕らならできるはずだ」
「……君は……いつ……から……そんな強い人物になったんだ?」
「先生に物語を書くように言われて、初めはもちろん困惑した。でも先生の言った通り、その作業は僕にもたらすものがあった。それは世界の理なんて立派なものじゃない……できること……できないこと……大切なものを、本当の意味で知ることだった。先生が傷ついたり悲惨な思いをするのは、もう耐えられない。だから強くなんかなっていない」
「それは……僕への愛の告白……としか……聞こえないんだが」と先生は言いながら、少しだけ口角を上げたように僕の目には映った。
「支え合おう。先生は能力が高い、それ以上に……深い。いままで、ひとりで多くのものを背負い過ぎた」
「いまの僕に……誰のことを支えられるんだ……君に支えられるのも……それは……」
「心配しなくて大丈夫だよ。僕らなら、きっと、上手くやれる」
 先生は苦痛を堪えるように俯いた。そんな仕草は見たことがなかった。
 揺らぎのない視線ばかりを目の当たりにしてきた。
 先生の肩が……上下を大きく繰り返した……膝をついた。
 先生は……吼えた。
 
 
友人のひとり、ひとりが廃屋へ入って来た。
 
 恒星に引っ張られ、その周りを囲む惑星たちのような、運命的な配置に感じられた。
 
 割れたガラスの隙間から
 弱々しい
 月のひとしずくが
 差し込む
 視界が滲む
 ゆらり揺らぐ
 
 歪みの中へ……
 ……こころ

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