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極景-15-

 ――変遷――
 
 事件経緯公表の直後に、僕の書いた物語は公開され、少なくない数のメディアで取り上げられた。メディアの反応を細かく見れば表現方法は様々だったが、言っていることは、同情の余地はあるが法治国家に暮らす以上、相応の罰は受けざるを得ない、ということへ集約されているように僕の目には映った。
 一方、ネット上の反応は実に多様だった。
 匿名投稿の方々の非難めいたコメントは、容疑者を擁護する理由にはならないとか、殺人鬼には変わらないとか、物語って虚構でしょとか、筆者自身の半生の部分とか関係ないんだけどとか、教育とか期待してねぇし、洗脳でもしてぇのかよ、馬鹿とか、こいつらの仲間意識みたいな全部が気持ち悪いんだけどとか、相当量があった。
 一方、擁護的なコメントには、涙が止まらない、容疑者こそが被害者だ、無罪でも俺は構わないと思う、といった様に容疑者へ寄り添おうとしている姿勢も少なからず見られた。
 実名と立場を明らかにした上で意見を述べる方々が、日々増え続けるのが実感としてあった。その意見同士は同調したり対立したりを繰り返しながら、人の感情への理解を深め合っているように見えた。法と罰の在り方について言及する方々も居た。自らのスタンスを表明するのにあたり過激な言葉を遣う方々は非難されることを覚悟の上だったのだろう。実際、法曹界からの猛バッシングを一身に受ける方も居た。
 世論の大勢は、容疑者の気持ちを慮ったものへ移り変わっていった。
 事件発生当初から比べると想像以上に大きく世論が変遷していったのは間違いがない。   
 僕は他人事のように、その変遷振りを眺めていた。
 まだ、やり残していることがある。
 集中力を途切らせてはならない。
 
 ――判決――
 
 僕は、その日を家で過ごした。朝から母が訪れて来て、一緒に朝食を摂った。それから僕はソファに腰を下ろし、ひろしを膝の上に乗せて撫で回しながら、ニュース番組でそれが報道されるのをただ待っていた。母も僕の横に腰を下ろした。
 インターフォンが鳴った。母が応答した。弟だった。
 仕事している場合じゃないと思って来ちゃった、と彼は言った。図らずも、寛とひろしが揃った。緊張が解れていったのは間違いなかったが、落ち着いてはいなかったから、ひろしに、ねぇ、どう思う?と何度も話し掛けた。彼は耳をこちらに向けるか、大あくびをするだけだった。猫としては健全な反応だった。
 
 テレビ画面の上部に速報が流れた。
「文科省官僚による殺人事件、判決、懲役三年、執行猶予五年」
 判決は素人の僕でもわかる異例のものだった。
 僕ら家族三人は一緒に涙を零した。 
 番組内で詳細は伝えられなかったが、裁判官は情状酌量の余地について述べたそうだ。
 僕は、胸の内で、辛かったであろう日々を送った裁判員の方々を労わり、御礼の言葉を述べた。
 
 先生は記者会見を求められたようで、釈放後に弁護人とともに会見場に立ち、無数のフラッシュを浴びた。記者から、判決を受けて、ご自身がどう思われたか、率直な思いを聞かせてくださいと問われた。先生は、深く、とても長くお辞儀をした。先生も弁護人も着席しなかった。
「私は人を殺めました。判決がどうであれ、これは決して赦されるものではありません。私も自身を赦すことはありません。ご遺族の方々はもちろんのこと、この事件に関わった警察の方々、司法の方々、裁判員の方々には途方もない迷惑を掛けてしまいました。私は、私にできるやり方で罪を贖います」彼は記者団とテレビカメラに向かって、もう一度深くお辞儀し、身体の向きを変えた。記者団から、矢継ぎ早に質問が飛び交ったが、先生は会見場の出口へとまっすぐ向かった。
 
 検察は控訴しなかった。

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