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-自己紹介-

 他者を傷つけ、他者に傷つけられることで、人はようやく寛容さを手に入れられるのではないでしょうか。 
 人生100年時代と言いながら、現代は生き急いでいる人が多いような気がします。私も同じくです。いえ、むしろ率先して生き急いできたと言えます。
 企業に勤めていた頃には、短期的な成果至上主義に生き辛さを感じながらも、他者を見ている振りをしながら、自らの成長という呪縛に絡み取られ、沢山の人を傷つけ、沢山のものを無くしました。

 無意識的に幸福のテンプレートを押しつける同調圧力には辟易とさせられますが、抗うのは容易ではありません。学校で起きる苛め問題、最近では企業でも蔓延しているようですが……一時的に誰かに守って貰ったとしても、一生平穏無事が続くとは限りません。時には逃げることもアリです。
 私は企業から逃げました。
 学校からも企業からも逃げられます。時間が解決してくれる場合もあれば、そうでないこともあるでしょう。対処は千差万別で、私には特効薬は処方できませんが『辛い時は逃げてもいいんです』
 生活費が……ローンが……子供の教育費が……体裁が……逃げられない理由は沢山あるでしょう。しかし、逃げるまでもいかなくても一歩立ち止まることくらいは、どうでしょう。回遊魚ではないのだから死にはしません。
 学校は高校までだと12年間、企業なら60歳か再雇用されて65歳まで。我慢することで何かが前に進むのなら、意義があるのかも知れません。しかし、人生は一度切りしかないのです。ある意味で最も重要なファクターは『時間』と言えます。『時間』は誰にでもフェアで、前進しかしません。取り返しが効かないからこそ残酷です。何に『時間』を使うのか。
 意見は皆それぞれだと思いますが、私個人の結論は『誰のために生きるか』いまは、そうとしか思えません。
 沢山の人を傷つけ、沢山のものを無くした私を救ってくれたのは家族であり、他者でした。
 恩返ししたいとか、そんな高尚な思いではありません。『誰かのために生きる』ことが、自らを救い続けるであろうことが確信的に思えるからです。結局は私利私欲です。
 
 私は、数年前から『物語を書く』ことを始めました。元々読書好きではあり、いつかは自らも書くだろうなくらいの気持ちでした。書くことは私を解放してくれます。理性も感情も何もかもをです。時には触れたくないことへ触れ、辛くなる場合もあれば、自らが作り上げた登場人物に感情移入して涙を流すことすらあります。それはそれで私には効能があるのです。おそらく生育環境に影響を受けているのだと思いますが、私の喜怒哀楽は、ほとんど誰にも伝わらないのです。涙を流すだけで、かなりすっきりします。四十過ぎで、それを知ることになるとは思いもよりませんでしたが、悪いものではありませんでした。

 これから少しずつ記事をnoteに載せていきます。良かったら読んでみて下さい。コメントを頂ければ、ほぼ確実に返信します!

※背景画像は、うちの猫です。叔母と姪の間柄なんですが、親子間より仲がよいんです。

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