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疲れた
疲れたら死にたいって思う。
だって何も出来ないし、何も身に付けられないから
人生には夢見てる時間は無いのだと、時間を失ってから気付いた
言論の自由と言ってもどこかで相手の発言を許せない基準がある
だがそれが人それぞれ異なっている
法律みたいなコンセンサスがない
Twitterアプリを消してるもうひとつの利点を見つけた。
自分の呟きを別の所に書く必要があり、その場では共有出来ない点だ。
それによってやらなきゃいけないことがあるのにTwitterを見始めてしまう自体を防げる
現実世界で誰にも相手にされずに1人で生きるのと、x(旧Twitter)で終わってる奴らだとしても仲間に囲まれるのどっちがいいんだろう
それともそういう人に対して、積極的に死ぬ権利を保証するのが良いのだろうか?
やる気の出ない物憂い気分と人生について考えて結果やりたい事が何も無いに着地した時に起こるつまらないという感情の横溢
やめたいしにたい
何度も言ってるが、もう生きたい理由も、自分が生きる意義も無いんだよ
僕が未だ死なないでいるのは、全てを捨てる勇気も無いからに過ぎない。
こんな状態が変わらないままダラダラ生きている。決断出来なくて引き伸ばしてる。ただそれだけだ。いい加減疲れたんだけどね。
スマホを目に入らないところに置く
その日にやらなきゃいけないことがある時の超重要テクニック
家では常にそうすべきなのかもな
Twitterは気づいたらアプリ一覧を一番下までスワイプして触ってるというガチの依存状態だったが、今度はこっちに依存先が移るだけなのではないかとも思うが…
一日があまりに早く終わるのはtwitterのせいだと疑っているのでtwitterアプリは消しました。
でもこっちにはいるので、むしろ中身の無いお気持ち表明が増えるかも?
他者と分かり合えないなら、せめて考えを示すのだ。そして自分の領分を守るのだ。
他者とは分かり合えない存在と同義である。
他人は自分の経験、自分の考え、自分にとっての言葉の意味をどうしてなのか理解してくれないが、自分にとっても、他者の語る身体的精神的な苦痛とか感情とか論理とか言葉の使い方が理解出来ない、という時もあり、
すなわち相手が理解してくれないのはお互い様なのだ。
人間は何も繋がっていない、何も他者と共有出来ない、自分の脳の中の閉じた世界しか知覚する事は出来ない。だから