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鳥の子手写 茶盌 清和窯 原祥雲作

 酉年に出ていた茶盌で、形としては筒になるか。半筒程は浅くなく、深筒ほど高くもなく、七分筒かもしれない。

 カタログを見て、珍しく、母と私で速攻気に入って、即注文したもの。勿論、別に御題茶盌は買った。

鳥の子手とは?

 鳥の子とりのこ手とは、「鳥の子紙の色のような卵白色をした中国白磁で、中国宋代の名窯・河北省定県にあった定窯ていようでつくられたものの通称」と言われていたが、「釉調が鳥の卵に似て白く柔らかな趣であることから付いた中国産と考えられる白磁のことで、産地も時代も不明である」という言い方に変わっている。

 奥高麗が、実は支那製であったという研究もあり、かなり茶陶の世界も最新の情報を取得しないといけない時代になった。

 この手で最も有名なのは『遠州蔵帳』にある遠州銘のもので、中島加兵衛、江戸の鹿島家から益田家に伝わったもの。これはその写だ。

 この茶盌は高台が蛇の目高台になっていて、茶盌の腰近くに鎬削りの痕があり、ひだ山になっていて、ゆったりとした雰囲気がある。

 これに特に銘はつけていないが、七十二候の雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)ということからも、大寒に用いるにはピッタリであろう。

 蛇の目高台と鎬から和傘を連想でき、そうなると大黒屋傘と言いたくなるが、生憎と大黒屋金襴の仕覆に包まれた雁金瓢箪茶入は季節が違う。

 といっても、師走の主茶盌は大黒写黒楽・銘『皮屋』なので、繋がりはあると言えるが(笑)

 ちなみに、皮屋は武野紹鷗の屋号で、大黒は武野紹鷗の庵号である。

 初釜に紹鷗袋棚を用いるので、大黒写の『皮屋』は来月にしたほうが良いのかも知れないが。

銘を考える

 この茶盌は王冠状のシルエットをしていて、王冠はCROWNであるが、昨今マスコミが世を騒がせるネタになっている新型コロナウイルスの名前の由来である「冠」でもある。

 ただ、購入したのはコロナ騒動の前なので、そこは考慮したい(笑)

 別の見方をすると、なると巻の形に似ている。これは麦藁の簾巻き状で販売されていたことによるそうだから「鳴門」という銘もなしではないが、捻り過ぎか(笑)

 高台は蛇の目。高台内が赤褐色になっており、これの本歌と思われる物がヤフオクで過去に取引されていた。時代の箱がなく、識箱で、金継ぎの痕があった。安南鳥の子と表書きされており、風情もあり、時代を感じさせる代物だった。

 但し、銘はなかった。

 本歌に銘があると、写も銘を考えやすいのだが仕方ない。

 赤い丸というと日の丸だが、旭日などの銘だと新年っぽくなってしまうので、いささか時節外れである。赤銅色か葡萄色に近いので、日の丸とも言い難い。

 鳥の子だから、雛か卵か。卵は「卯」と「〃」であるので、そこから連想するのも面白い。

 卯は左右対称の門を意味するので、この点は門環(鐶)を表しているとも取れるが、これはひねりすぎであろう。

 振り返って「鳥の子」に注目する。室町時代は越前鳥子が最上品であり、越前といえば朝倉氏であるところからすると「朝倉」というのも悪くはない。

 また、越前鳥の子紙は府中のものが最も良いとされ「紙王」と綽名されていることから「紙王」が良いか。

 桃山時代に思いを馳せると、鳥の子を朝倉と見れば、朝倉の中で有名な数寄者といえば朝倉宗滴である。

 写はその息子と捉えると、朝倉宗滴の嫡子は廃されて仏門に入ったと言われ、これが蒲庵古溪――利休に抛筌斎の号を授けた堺の南宗寺から大徳寺へ上がった古渓宗陳であるといわれる。

 古渓宗陳は利休に大変関わりのある人であり、切腹の原因になった金毛閣の山門の話は有名だ。

 ここは彼から名前をとって「古渓」とか蒲庵から「蒲」をとって「狐の蠟燭」では回りくどいか(笑)

 ここは素直に「紙王」としておこう。

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