自己肯定感が下がりすぎたワケ

以前の私は、自己肯定感の低い状態が、ずっと続いていました。
自分の存在感が希薄に感じられてしまい、漠然とした焦燥感みたいなものに駆られてしまう感覚があって、不安感がいつも付き纏っていました。

こういう時は、何でも卑屈に捉えるようになってしまいます。
ちょっとした人の反応が強く印象に残り、過度に気にしてしまいます。
そのせいか、孤独感も強く感じていました。

物心ついた時からずっと続いていた感覚で、私は何とかこの感覚から脱せないかと悩んでいました。

この「自己肯定感」について、私の体験をお話してみようと思います。
もしも同じように悩まれている方がいましたら、参考にして頂けたら幸いです。

ここで簡単にご挨拶を。
はいいろと申します。アクセス頂きましてありがとうございます。

私は、主治医から発達障害の傾向が強いと言われています。さらに、認知の歪みにも振り回され、生きづらさに悩む人生を送ってきました。しかし、今ではわりと穏やかな気持ちで生活を送っています。

もちろん、障害特性に悩まされるのは変わりませんけど、それでも楽しいと思います。私の体験が、どなたかの悩み解決のきっかけにでもなれば、との思いで記事を書いております。

どうぞ宜しくお願いいたします。

自己肯定感が下がる仕組み

自己肯定感がどうしてこんなに下がってしまうのか、主治医に聞いてみたことがありました。

発達障害の傾向がある人は、ただでさえネガティブな記憶のインパクトが大きく、フラッシュバックもしやすいので、ネガティブなイメージばかりが記憶に定着してしまうのだそうです。

つまり、ポジティブな記憶が定着していないから、自己肯定感が上がらない、というわけですね。

自己肯定感を上げるには、意図的にポジティブなことを思い出すようにして、ポジティブな記憶を定着させるようにすれば良い、とアドバイス頂きました。

でも。

そもそも、やりたいことは何も出来ていないし、成果も上げられていないのですから、定着させたいポジティブな出来事がないのです。いつもの単調な毎日を繰り返しているだけで、自分には誇れることが何もない…

主治医のアドバイスを実践しようにも、スタート地点で立ち止まってしまいました。

私に足りなかったもの

そんな折。

「朝起きてから体験した”良かったこと”を10個あげてください。」というワークがありました。

私は何も書き出せずに終わってしまいましたが、たくさん書き出した人もいる様子でした。一体どういう輝かしい人生を歩んでいるんだろうと思っていましたが、内容を聞いてみてガックリしてしまいました。

普段よりちょっと早く起きられたとか、朝ごはんが美味しかったとか、そういうことが良かったこととしてあげられていたのです。そんなことで良いなら、私も朝ごはん美味しく頂いたよ、と思いながら、ハッとしました。

美味しく朝ごはんを頂いて、良い時間を過ごせたのなら、それは”良いこと”としてカウントしたって良かったはずです。しかし、私は”良いこと”というキーワードから、朝ごはんを連想することができませんでした。

私は、自身が大事にしている価値観や基準に到達してないことは、全て”良いこと”とみなしていなかったのです。それどころか、価値がない出来事とみなしていたかもしれません。

もしも、お金に換算したとしたら。
朝ごはんを美味しくいただいた体験は、100円とかにはなったかもしれません。
しかし、5000円に満たない金額はお金じゃないと言って全て投げ捨てていたら、それほど勿体無いことはありません。すぐにお財布はすっからかんになってしまうことでしょう。私がやっていたことは、極端な話こういうことです。

だとすると。
自分には何も良いことがないように見えるのも納得でした。主治医のアドバイスを実行しようにも出来ないわけです。
何も成し得たことが無いように感じられるのですから、その空虚さから、自分の存在感が希薄に感じられるのも分かります。
自己肯定感も下がるわけです。肯定するための材料が無いと思っているのですから。

でも、実際には、私には何も無いわけではありませんでした。自分の価値観に固執するあまり、ポジティブな体験を取りこぼしていたのですね。

それに気付いた私は、すぐにポジティブに物事を捉える練習をはじめました。30年近く続けていた習慣ですから、すぐに修正することは難しかったです。

それでも、しばらく続けているうちに、ポジティブなものの見方は身についていき、良かったことを挙げるのも難しくなくなっていきました。

そうすると、次第に感覚も変わってきます。

今までは”無”だったように思われた1日が、小さな良いことの積み重ねによって成り立っているということを感じられるようになりました。どんなに小さなことでも、その”良かった”や”できた”の繰り返しによって成り立っていたんです。

そう思うようになった頃には、存在感が希薄な感じはしなくなって、焦燥感も消えていました。

ポジティブに物事を見ることの大切さ

ここで、ポジティブに物事を捉える上で、私が大切だと思うことを書いておきます。それは、ご自身の価値観で見た評価も、異なる観点で見た評価も、どちらも1つの事実として受け止めることです。

順番に整理してみます。

まず、ご自身が大切にしている価値観で、ぜんぜん良いことがなかったと思うなら、それはそれで受け止めておきましょう。決して否定する必要はありません。逆に言えば、事実を”ご自身の価値観”で評価した結果だと言うふうに、解釈しておいてください。

その上で。

今度は別の視点で、あえてポジティブに捉えてみます。そういう見方もあるかなと思いながら。
ご自身の価値観とは違う視点なので、別に受け入れられなくて構わないのです。ただ、そういう見方もあるんだ、と思いながら、あえてポジティブに捉え直していきます。すると、自分の価値観や基準には届かないかもしれないが、別の視点では確かにポジティブにも見えるという事実に気付きます。

別の視点で捉えたところで、自分の視点で捉えた評価が変わるわけではない、と思う人もいるでしょう。それは、その通りです。ご自身の価値観を変えたり、感じた感覚を捻じ曲げる必要はありません。
自分が価値を感じないことでも、見方によっては価値があるように見えるという事実が大切なことです。

むしろ、どちらの視点も大切にするのです。
そうすると、立体的にものの価値が見えてくると思うのです。

人が、音を聞いた時に、音源の方向が分かるのと同じようなものだと思います。音源の方向が分かるのは、耳が2つあるから、なんだそうです。それぞれの耳に届いた音の微妙な違いから、脳が音の発生源の方向を特定するとか。

同じように、2つの観点から得られた評価の違いから、より客観的に物事を見られるようになると思うのです。

さいごに

私は自分の認知が歪んでいるあまり、本来あったはずのものまで無いものとして捉えてしまっていました。見ている出来事は同じことのはずなのに、捉え方によってここまで印象が変わるとは、と驚いたものです。

せっかくの人生、いろんなものの価値を感じて、感謝して生きられた方が楽しいですよね。自己肯定感が上がると、気持ちに余裕が出てきますし、それだけで生きているのが楽になります。

ちなみに、周囲からみると、まだまだ自己肯定感が低いように見えるらしいです。笑
私の感覚では、以前があまりにも低かったからか、今はとても高く感じられるんですけどね。

成功体験を積み重ねていけば、いずれは皆さんのように、高い自己肯定感を感じられるようになるんでしょうか。そんな風に感じられるようになる時が楽しみです。今後も小さな成功体験を大切にしながら、自分のペースで進んでいこうと思います。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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