(ASD)こだわりと対人トラブルの狭間で

以前は生きやすさよりも、優先していることがありました。
それは明らかに、生きづらさの要因の1つになっていたことです。

正しいか正しくないかよりも、生きやすさだ。

これは、私が主治医に言われた言葉です。
私は、正しいか正しくないか、にこだわってしまって、他人との軋轢を生んでしまう生き方をしていました。そんな私を見て、主治医がアドバイスして下さったのです。

特に、正しいか正しくないかという私の価値観を、人にも押し付けてしまっていたことが問題でした。思い返すと、周囲の人にかける負担も大きかったでしょうから、悪気は無かったとは言え、申し訳ない思いでいっぱいになります。

こだわりがなくなることはありません。
しかし、今では、認知を切り替えることで気持ちをコントロールできるようになったため、自然と押し付けなくなりました。

どのようにしてその答えに辿り着いたのか。体験談をお話してみようと思います。

踏み込んでしまっていた私

私は、ASDの障害特性が高めで、”こだわり”がとても強く、○○すべき、と考えがちです。

○○すべきなのが自分だけなら問題ないのですが、会社のように組織で動く場合にはそうもいきません。他人のやり方に口を出したくなるときもあるのです。

私の思考はとても単純です。理屈上、正しいか正しくないかで意思決定がなされます。そして、誰しもそのように物事を判断するものだと思っていました。特に、業務上は合理的な判断が下されるものだと思っていましたから、なおさらです。

ですから、私の考えが理屈の上で正しいことを理解して貰おうとしていました。理解してくれれば、当然、私の考えを受け入れてくれるものだと思っていました。正しいと分かっていながら提案を受け入れないなんて、やる気がないか、何らかの悪意があるかのいずれかだと思っていたくらいです。

しかし、言っていることは分かるが受け入れられない、という趣旨で返事を貰うことも当然ありました。

当時、私がよく分かっていなかったのは、人それぞれが異なる価値観を持っているという事実です。人には人の価値観があって判断基準が異なるため、同じ事実をを見ていても、そこから導き出される結論は自然と違うものになります。

ただ、それを知っても、まだ私には腑に落ちないことがありました。
確かに、人それぞれで違いがあるのだから、自分の主張を押し付けてはいけない、というのは理解できました。だから我慢して主張しないようにするというのは、選択肢としてなくはない。

しかし、それならば、相手が主張を取り下げても良いわけです。なのに何故、自分ばかりが我慢するよう諭されてしまうのか、その点だけが納得いきませんでした。

生きづらさを手放せたワケ

辿り着いたのは、“生きやすさ”という観点でも、併せて考えるようにすることでした。

本来、人がどのように行動するかは、本人が決めることです。そこに踏み込んだところで、本人が意思決定することなのですから、どれほどの思い入れがあっても、個人的な意見として伝えることしか出来ません。

言ってしまえば、自分にはコントロールできない範囲のことなのです。もちろん、上手く交渉すれば受け入れて貰えることもあるでしょう。しかし、それだって本人が受け入れるという判断をしただけで、人の意思をコントロールできたわけではありません。最終的な意思決定ができるのは本人だけなのです。

これまでの私は、自分がコントロールできない”人のこと“に心血を注いだ挙句、結局は自分の思ったようにならないことが続き、悶々としてストレスを溜めてしまっていました。相手側にもストレスを与えてしまいますから、人間関係や雰囲気をも悪くしてしまっていました。

自分の望む結果は出ない上、意見がぶつかることで自分も相手もストレスを貯めてしまいます。変えられないことを変えようとしてしまう生き方は、エネルギーの消耗が激しいわりに結果が伴いません。これほど生きづらいことはないのです。

このように、“生きやすさ”という観点でも併せて考えるようにすると、人に踏み込むことは不毛だと感じるようになり、自然と踏み込まない選択肢をとれるようになりました。そして、コントロールできない人のことで頭を悩ますのではなく、自分が意思決定できる範囲で考えるようになりました。

意見の衝突によるトラブルは激減し、その分、結果に繋がりやすい行動に時間をとるようになりました。建設的な判断ができるようになったおかげで結果も出るようになり、以前と比べて、生きやすくなったと感じます。

つかず離れずの関係の中で

ただ、そうは言っても、人との関係を断ったり、独善的に生きることをおすすめしているわけではありません。
そもそも、人間社会で人との関係を断ち切って生きるなんて、不可能でしょう。

そこで、他人に踏み込まないコミュニケーションのスタンスとして、“アサーション”という概念があることも、併せてお伝えしておきたいと思います。以前、記事にしましたので、そちらもご紹介します。

アサーションは、自他共に大切するコミュニケーションです。面白いのは、人それぞれの価値観に違いがあることを前提としている点です。つまり、人に介入しないことを前提としているのですね。それでも、自他共に大切にすることを目指しているのです。

自分と他人の境界線を維持しながら、人との関係をどのように築くかを考える上で、アサーションは良いヒントになると思います。
私自身、程よい距離感を維持する上で、指針とさせて貰っている概念なので、紹介させて頂きました。

さいごに

私は、失敗を何度も重ね、多大な時間と労力をかけ、ようやく自分なりの答えに辿りつくことが出来ました。経験は無駄ではなかったと思いますが、失ったものが大きかったので、もっと早くこの答えに辿りつきたかったです。

似たような悩みを持つ方がいらっしゃいましたら、せめて、私の体験を反面教師にでもして頂けたら何よりです。

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。

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