ばあちゃんの畑が空き地になってたってだけの話

ずっと地元に住んでいても、人生で数回通るか通らないかくらいの道がある。
今日通ったそこは大通りよりずいぶん奥まったところにある住宅地で、以前通った時は縦長の小さな畑があった場所だ。
20年ぶり2度目の通行である。

20年前、就活中にたまたまその道を通ったとき、そこでばあちゃんが畑仕事をしていた。
畑友達と一緒にじゃがいもを収穫していたばあちゃんはとてもハツラツとしていて、80代という年齢を感じさせない様子だった。当時、反抗期明けでばあちゃん愛を取り戻したばかりだった私は、それが妙に嬉しかったのを強く覚えている。

私を見つけると
「おお!どおしたこんなとこで!これ持ってくか?」
と、返事も聞かずに掘り出して集めていたじゃがいもを袋に詰め始めたばあちゃんと
「お孫さんか?」
と集まってくる畑友達。
「畑ってここにあったんだね」
とズカズカ敷地にお邪魔する私。
畑の端っこに刺さった棒に繋がれて、こちらを眺めらながらも大人しく伏せている犬。
やけに牧歌的で、就活のせいでささくれだった心がほぐれていくようだった。
もちろん、じゃがいもはありがたく貰った。


ずいぶん前のほんの5分程の出来事だし、今まで特に思い出したこともなかったのに、同じ場所に来ただけで、映像だけではなく声までも鮮明に思い出すくらいに印象的な出来事だったらしい。

今、縦長の畑は空き地になっていて、敷地の形もわからないくらいに背の高いイネ科っぽい草がぼうぼうに生えていた。

別に、特別なことがあったわけじゃない。
ただ月日が経って、畑として使う人が居なくなったというだけのことだ。
でも、素直に寂しいと思った。

こういう、ちょっとしたキッカケで故人を思い出しては寂しくなるから、地元に住むのはいけない。
何年経っても、毎日毎日泣いてばかりの日々だ。

ばあちゃんに会いたい。
ばあちゃんに会いたいなぁ。

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