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わりと日刊だらく[No.143]〜「中庸の暫定解」と「これからの習慣」〜

今日の散文



「中庸の暫定解」と「これからの習慣」


おおよそ、中庸の意味が理解できてきたように思う。

それがこちら。


これまで、こういう「無理のない暮らし」みまいなものをずっと志してきたので、中庸という言葉を設定した時点でこのような結論に至るのは決まっていたのだと思う。

月初からずっと意識してきたかいあって、かなり「脱力」が身についてきたように思う。


また、祈りの基礎原則に「合気」という新たな項目が加わった。

「合気する」という意識をもつことで、とてつもなく大きな恩恵を受けている。「生きやすい」とはこういうものかと、この味を噛み締めている。

今の僕の「合気」とは「みんなと仲良くする」という感じの意味で、それは嫌いなやつと無理に仲良くするという意味ではない。

嫌いなやつとはできるだけ距離をとり、それでもその嫌いの理由が自己攻撃的なものであればそれを取り除いてやる。

すると、距離が少し近くなっても平気になる。

「合気」の意識によって「脱力」も容易にできるようになってきた。

このように自分の生き方の理論を決めていくことに楽しみを覚えている。


だが、まだ出来ていないところも多い。

だからこの記事で「これからの習慣」について書いていくことで、それを脳内に刻み込もうと思う。



ひとつ目は「文字と雑談すること」だ。

すごく変なことを言っているように聞こえるかもしれないが、これは僕にとってはすごく自然なことなのだ。


要はこういうことだ。

本来なら通話アプリなどを使って音声で対談を行なっているが、その時のコミュニケーションのやり方を、文字を読むことによって脳内で自分の声を再生し、読んだ文字に対して、その奥にいるであろう人間に対して、話しかけるのだ。

これはそんなに特別なことではなくて、やっている人はやっていることであると思う。

僕の場合、対談の時に僕が出しているリラックスしたムードというのが定着してきて、相手のアウトプットに対する反応というのもそのリラックスがベースとなってするようになってきた。

だから、それを文字を読んでいる時にも発動させることによって、読書をしている時や、SNSをみて誰かのつぶやきを見ている時などに応用するのだ。


これは希望的観測に過ぎないのだけど、読書に関していうと、この「対談人格」とは別に「読書人格」があって、普段は読書人格で本を読んでいるのだけど、そこに「対談人格」で本を読む作業をすることによって、この二人の人格で同時に本を読めるようになるのではないかと思うのだ。

ただ、希望的観測とは言ったが、何となくそんな感じのモードに入った体験をしたことがあるので、やり続けていると読書がレベルアップするかもしれないなと思っている。

なかなか読書に時間を割けなくなっているので、これは朗報だ。

「対談人格」を各行為時の自分に流し込みそれが定着していけば、僕の生活全体のアップデートになるかもしれない。


ふたつ目が「良い呼吸」と「良い姿勢」と「動き続ける」だ。

「良い呼吸」と「良い姿勢」は、まだ出来ていないことがある。

おそらく「合気」の意識によってこれらはそのうち良くなっているだろうとは思うのだけど、確実にやっていくために書いておく。

さて最後の「動き続ける」だが、これはシステマ岡山さんとの対談記事を書いて、「システマの基本原則の『動き続ける』ってなんやのん」と疑問を抱いたところから始まった。

僕の場合、「動き続ける」というよりは「常に動ける状態にしておく」の方が言葉的に近いかもしれない。まだよくわかってないので言葉も変わっていくかもしれない。


「動き続ける」もまた「中庸」と同じで「意味がわからないけど重要だと感じた言葉」である。

基本原則の実践は、常に脳のキャパを食うのだが、それと自身が一体化した時に、脳のキャパは以前よりも向上し、さらに処理能力(記憶や瞬間的な反応や思考などすべて)も向上するはずだ。

ということで来月の予言は「動き続ける」「常に動ける状態にしておく」になるかもしれない。

またシステマ岡山さんとの対談から得た知見にお世話になってしまったな。


前述した通り、僕は文字を読んで対談モードに入ることができるようになると思うので、労働期である今は、音声による対談は今後減っていき、文字での対談が増えていくと思う。

でも、やっぱり音声での対談はすごく大事だなと感じるので、やっていきたい。

「各行為への対談人格の流し込み」と「良い呼吸・良い姿勢・動き続ける」をやっていくぞ。


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