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わりと日刊だらく[No.16]〜よくわからない武道〜

今日もテキトーにやっていきます。

今日もよくわからない話。


今日の散文

よくわからない武道

武道的なことについて書いてある本をたまたま読んだのだが、「僕が今までやってきたことは武道だったのか〜」と思った。

瞑想から始まり(まったくうまくいかなかった)、解呪として感情をとことん突き詰めていき不意にフッとそれが消える瞬間に立ち会うようになり、その解呪されている状態を常に再現したくて祈りを始め、散歩に祈りを見出した。

それらはすべて武道的なことへ通じるものだと理解した。

しかし、未だに武道が何なのかはよくわからない。

教えて頂いた解釈として、「天下無敵」を目指すものだとは知っているし、そもそも戦わないようにするものだとも知っている。

しかし、何なのかよくわからない。

具体的な身体運用がよくわからない、どういう状態が武道的に良き状態なのかわからない。

僕なりに祈りを続けてきた結果、戻るべき場所をいくつか見つけてきて、それが個としての武道としてはそれなりに良い状態にあることを知っている。

だが、個の中で完結しているだけではダメで、今後は、社会と、世界と調和しなければならない。

僕はその方法を模索している。それが知りたい。


今のところ、師を探し、武道的な稽古をするために割く時間がないので、本格的に武道をやることはできない。

そこで、「個」的ではあるのだが、以前からちょこちょこと試していた「エセ太極拳」をまた始めてみた。

(ちなみに僕は太極拳について何も知らない)

ボンヤリと説明すると、エセ太極拳とは、動きについて何も制約はなく、ひたすらにゆっくり色んな身体運用をする、というそれだけのことである。

以前は、圧倒的に不健康だったのであまり効果が得られなかったが、今日は確かな効果が得られた。

特定の腕の位置、関節の可動域限界まで動かした後に、その姿勢を崩さぬままに別の部位を動かしたりする。

可動域限界の状態を離すも離さないも自由。その時の気分でひたすらに、制約を加え、自由を加え、また制約を加え、というのを延々とやっていく。

今のところ目的を持たぬ身体運用なので実用的なレベルになるまで時間がかかりそうだが、やっていくうちに目的が出来てきたり、また、見つけた特定の身体運用から応用できる目的が見つかったりしていくだろう。

昨日、今日と書いた記事の通り、僕は無意味なことの積み重ねをやってきた。

散歩なんて、金にならないし、誰と仲良くなれるわけでもない、祈ったって願いが叶うわけではない。いくら書いたって無名の素人の書いたモノなど誰も興味を持ちはしない。

しかし、やってきた。

そして、これこそが僕の人生を良くするためのカタを見出すキッカケとなったのだ。

この「エセ太極拳」は、これまでの僕の無駄な営みと同じくして、僕にとって究極的に役に立っていくだろうし、実践的な武道への架け橋となるだろう。

そんな予感を感じている。

だから、これからもこの無駄を積み重ねていく。

武道ってなんなのだろう。


音楽


Jaco Pastorius

ドラムのシンバルとハイハットを踏む音(?)が合わさりながらビートが刻まれているのがすごくおもしろかった。

ギターの音がぺちょぺちょしてて気持ちよかった。


一人組


くらがりチャレンジ
音楽を色々。

贈与
なし。



パブリックを思い出す
やった。しかし、パブリックって何なのか未だに掴めずにいる。細かく問いをやる必要がある。


小休憩
やった。5分以上取ってストレッチと体操をキッチリやったらすごく疲れが取れた。


観察と感想
やった。体力的に余裕がなくなってくると、どんどん出来なくなってくるので、普段からこれを心がけていれば良い目安になるなと思った。


愛を思い出す
やった。

終わりに


今日はこれから本を読む。

今までのようにじっくり読むのとは別に、結論と流れの雰囲気だけを掴む読み方を毎日したいと思っている。

それを一人組に組み込んでいこうか、また別のコーナーとして組み込んでいくか、といったことを考えている。

やったことないことをどんどんやっていこう。

今日も良き日であった。

明日はもっといい日になるよね、有象無象。

じゃあ、また、あした。

良い夜を。

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