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そろそろ
自分の棚卸しを
真剣にやっていこうと思います

僕は大学卒業後
新卒で大阪のテレビ局へ
入社しました

一発目に配属されたのが
報道局
でした

実のところ
テレビ局へ入社できたのは
人事の気まぐれ(たぶん)でした笑

上海万博でもカメラをふりました

はっきり言って
馬鹿だったので
ただもてりゃいい
と思っていたら
その思いが強すぎて
受かってしまった
のです笑

テレビ局の流れとして
だいたい4月入社後
1ヶ月程度の全部署の研修を経て
5月中旬頃に仮配属
7月に本配属先が決まります

夢だったテレビ局員になり
心躍らせる僕は
やる気満々で
「研修なんか
ちゃちゃっと終わらせ
早く現場に行きたいです!
早く戦力になりたいです!」
とのたまっていました笑
(今覚えば
若気の至りでしか
ありませんがw)

1ヶ月ほどの研修を経て
ついに仮配属の発表の日を
迎えました

一人ずつ
名前を呼ばれ
同時に配属先が
告げられます

報道局だれそれ!
営業局なにがし!

同期の名前が次々に呼ばれ
喜んでいるもの
悲しんでいるもの
ひきこもごもです

そして
ついに
僕の名前が呼ばれました!

報道局!

と発表された瞬間
僕の視界は
一瞬ブラックアウトし
気絶しそうでしたが

なんとか
やる気のある感じで

はいっ!


声を振り絞ったのを
覚えています

心の中では
ええええええ
おれ、、、
報道局、、、?
まぢ?
えぐいぢゃん。。。
怖いよ。。。
俺スポーツ志望だぞ?
なんでだよ…

とただただ
落胆したのを
覚えています

その後
みっちり3年間
報道カメラマンをやりとげ
スポーツ部に異動するのですが
それはまた先のお話です

社会人の方々なら
お分かりいただけると
思いますが
はっきり言って
新人の希望など
はなくそほども気にされていないのです

テレビ局も
ご多分に
もれません

僕は
面接の時から
スポーツ志望
と伝えておりました
(スポーツしかしてこなかったんだから
当然です)

ところが
ふたをあければ
報道局

スポーツ部には
その前年に
既に新人が入っていたので
新人枠など残っているはずもなかった
のです

しょせん
それなりの企業といえど
社員の異動など
その程度です笑

今となっては
いや普通だろ
と思いますが

その当時は
まったく理解できなかったです

その後も
毎年異動の時期がくると
不可解な人事異動を
目の当たりにしました

簡単にいえば
まず役員・局長クラスが決まり
部長クラスが決まったら

もうあとは
玉突き玉突き
です

若手はそれの
帳尻あわせでしか
ありませんでした

マスコミ業界だと
だいたいどこの社も
そんな感じじゃないでしょうかね

今覚えば
あの1年目の仮配を言い渡された瞬間から
僕の退社は決まった
ように思います


★☆僕の生きる指針(たまに忘れる…)☆★
1・淡々と生きる。
2・他人と比べない。
3・できることだけやる。
 (最近、”できること”の見究め方がわかりました。)
  できることの範疇を超えたものは、
  自分でやろうとせず、
  能力ある友達に任せる。
  もしくは探す。
4・ネコを見習う。
5・「いい」「わるい」と安易にジャッジしない。基本的に全部「いい」。



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