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折り合いの悪かった母に対する捉え方が変わった話。

こんばんは。ちーです。
初めてスマホでnoteを書いてみます。

最近いろいろあって、母のことを思い出していました。母はいわゆる「毒母」と呼ばれる類の人間でしたが、それだけではなかったのかもしれません。

※今回は毒親の思い出、及び描写が出てきます。お辛い方は読まれるのを控えていただけると幸いです。

母と私の関係はギリギリだった

母は四国の山奥出身。スナックで働いているときに父と出会ったそうです。
その後、兄と私が生まれ、転勤で関西へ引っ越し。

もともと母は割と神経質な性格、父はおおらかでマイペースな性格でした。

私はどちらかというと父寄りの性格で、幼少期〜思春期は自己主張もしっかり行うタイプでした。

兄はどちらかというと母寄りで、何よりも母のことを大切にしていました。(今考えると距離感がバグってて気持ち悪い面もありました)


さて、前置きが長くなりました。
私と母の関係が微妙になってきたのは、母が父と家庭内別居をし始めてから。

きっかけは、母がパートに出たいと父へ相談したこと。

父としては何かが気に食わなかったんでしょう(自分の収入で足りないのか!みたいなプライドがあったのだと思います)。

みるみる間に取っ組み合いの喧嘩になり、父が灰皿を投げつけたようです。
(私は現場を見ていません。あとから母に聞かされました)

その後、母は主に家の2階で暮らし、父はリビングや自室で暮らす…というふうに、家庭内別居が始まりました。

その後から、私と母の関係はどんどんこじれていきました。

私は母の愚痴吐きゴミ箱だった

家庭内別居が始まった当時、わたしは小学6年生くらい。

母のメンタルの具合が良くなかったことなどから、数々の嫌な思いをしました。

・母から父への伝言を言い渡され、父からの言葉を伝えるという「伝書鳩」扱いをされる

・母から父の愚痴、悪口を聞かされる

・やりたいと言ったことを否定される

・「太ってる子供は嫌い」と言われる

・喧嘩の際に「産まなければよかった」と言われる

ただでさえ親に巻き込まれているのに、さらに親に存在を否定されるのはとてもつらかった。
繊細な思春期なら、なおさらです。

客観的に見ても、子が思い通りにならないからきつい言葉を投げつける「毒親」だと思います。

また、母親がメンタルを崩し、風呂に入らないのも嫌でした。
数日空くのは当たり前。当然フケやニオイも気になりますよね。
どんどん、母親を嫌いになっていくのがわかりました。

結局家庭内別居は、両親が離婚するまで6年ほど続きました。

母親の独り暮らしが始まり、私が子を産んだあとの断絶

母親は離婚後に、家族で住んでいた家の近くで独り暮らしを始めました。

その頃には私も家を出ており、適度な距離感で接することができていました。実際、家に泊まりに行ったこともあります。

ただ、私自身が子供を産んでからまた関係が変わってしまいました。

当時夫は転勤族で、数カ月〜数年に1回全国転勤をする状態。

関西のある県で出産したときには、母も駆けつけてくれました。しかし関東に引っ越したら、なかなか会うことはできません。
夫の仕事上、長期休暇に帰省することもできませんでした。

そんな中、母がメールを送ってきたのです。
「元気にしてるん?連絡くれないから寂しい〜」と。

その当時私は、イヤイヤ期の子供を抱えて疲労困憊。とてもじゃないですがメールを送ったり、返信したりする余裕がありませんでした。
母からのメールもそっけなく返していたと思います。

精神的疲労で参っていた私は、母の何気ない催促に「疲れてるから返事できん」と返します。
すると、

「なかなか会えないのに電話もよこさないのか」

と返信が来ました。
ここでもう、プツリと糸が切れたのを覚えています。
そこから私が怒り、「もう連絡してこないで」と関係を絶ってしまったのです。

母と交流がなくなった今、捉え方が大きく変わった


母と交流がなくなってもう10年ほどになります。最後に子供を会わせたのは、子が2歳のときです。

おそらく何も連絡がないので、元気に生きているとは思います。世話好きの兄が世話をしてくれているのではないかと。

私は今でも、思春期のときに言われたことを思い出すと悲しくなります。断絶前のメールでも、腹立たしいことを言われました。
(親を馬鹿にするな、とかなんとか)

その時の気持ちは、きっと消えません。

けれど、最近になりいろいろと思い返し、気付いたのです。

母がなぜ、すぐに離婚をせず、苦しいストレスだらけの家庭内別居という道を選んだのか。
学歴も社会経験も乏しい中、なぜフルタイムパートで頑張っていたのか。

おそらく、客観的に見るとベストな家族のではなかったんでしょうが。
それでも、「子供のため」という気持ちがすごく強かったんだろうなって。

彼女なりにできることをして、家族の幸せを叶えようとしていたのだ、と。

その時の母の思いを想像したとき、何も言えなくなってしまいました。

許しはしないが感謝はしている


母から受けた言葉は消えませんし、私の性格を形成する上で大きな影響があったと思います。

ただ、嫌だったことだけにフォーカスするのはもうやめます。
お母さん、本当にありがとう。


これから会うことはもうないかもしれないけれど、もしかしたらひょんなきっかけで会うことになるかも。

そのときは、感謝を伝えられたらいいな。

読んでくださるだけでもうれしいですが、サポートいただいた場合にはおいしいおやつやコーヒーとしてわが肉体に吸収されます。ちーを育てたい方は気が向いたらぜひ。