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【長編小説】もう一度あなたに会うために(16話~20話)

2024年。再婚したあの人と暮らす生活はすごく幸せだった…。それなのに突然過去に戻ってしまった私は、もう一度あの人に会うために、忠実に人生をやり直すと決めた…それが例え、辛い過去だったとしても…

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前編 あの人に会えるまで

16話 別れ

元夫に手紙を出してから

数日して元夫から返事が来た。

「面接があった。だからもう少しで帰れる。

考え直して欲しい」

という内容だった。

私は身元引受人になっていたから

別れることになると

身元引受人がいなくなる。

面接があったということは

私を身元引受人として

帰ってからの調査が行われたということ。

だから近いうちに仮出所は

間違いないだろう。


でも、走り出した私の気持ちは

止まることはなかった…

だから、好きな人が出来たと

返事を出した。

また数日して返事が来た。

「わかった。荷物は置かせて欲しい。

帰ったら荷物を取りにいかせて欲しい」

と書いてあった。

納得して貰えた。良かった…


それから、私は安心して

年下の彼との関係を続けて行った。

彼も、彼女と別れると言っていたが…


ある日、彼から話があると言って来た。

「彼女と別れて来た」

心の中で、「良かった」と

思っていたら…

「別れたけど、付き合うことはできない。別れて欲しい」

そう彼は言った。

私は

「え? 私は明日からどうすればいいの?」

「彼女にも同じことを言われた。

別れてから彼女が大事だということに気付いた」

私は、それ以上は何も言えなかった。

だまって車から降りて

家に帰った。


ま、知ってたけど…


1度目の人生では

元夫と別れることが出来たから良かった。

勇気をくれてありがとう

と思っていたけれど…

今は、くず男だとしか思えない。

若いし…仕方ないか…


明日からも、会社で会うことになる。

しかし、私は知っていた。

彼は、内勤の仕事に変更させてもらうから

会うことはなくなる。

私から逃げたのだ…


会社には、彼の友達が来るようになった。


私は、友達と飲みに行ったり

紹介してもらったり

友達とお見合いパーティーに行ったりして

遊んだけど

これという人は

現れなかった…


休みに長男と街へ遊びに行っていたら

お見合いパーティーの司会の人に

ばったり会ってしまったことがある。

子どもがいることは言ってなかったので

驚かれた。

その司会の人とは

友達になって

遊びにも行った。

その人と友達とサッカーの試合を見に行った帰り

彼の彼女の働いている店の前を通った。

すると、彼がいたのだ。

彼が彼女を迎えに来ていたのは明確だった。

もう何ともないと思っていたけど…

そうでもなかったらしい。

頭の中は真っ白で

その後、どうやって歩いて行ったのかも

分からなかった…


1度目の人生の時に

どれくらいで彼を忘れたのかなんて

覚えてない…

私はどうやって彼を忘れたの…

忘れたいと思えば思うほど

忘れられないものだ…


それから数か月後…

元夫から出所したと電話があった。

17話 再会

元夫は、身元引受人もなかったので

出所して保護会にいた。

「荷物を取りにいきたい。話がしたい」

と言われた。

保護会は、ここからバスで4時間かかる。

元夫は、4時間かけて会いに来た。


荷物を渡すと

「年下の男とはどうなった?」

と聞いて来たので

「別れた」

と言った。

すると「もう一度、やり直さないか」

と言われた。

私は「すぐ返事はできない。考えさせてほしい」

と伝えた。


本当なら、やり直す気はない

と言いたかったのはやまやまだったが…


その頃、私の叔母が兄に

「ゆうこに家をとられるぞ」

と言ったらしく…

兄は急に、父に

「家に帰らせてほしい。狭いから家を増築する」

と言って来ていた。

その話をしに来た日、兄嫁は私に

「一緒に住んでも、仕事の時は子どもの面倒見るけど

遊びに行く時は絶対に見ないから」

と言った。

私は、絶対に一緒に住みたくないと思った。


それで、元夫のやり直さないかという言葉に

乗ってしまったのだ…

今回の人生も、同じ道をいくしかないよな…

考えたって、結論は同じだ…

これからまだ辛い人生が待っていても

私は「あの人」に会うために

我慢すると誓ったのだから…


私は、元夫とやり直すと決めた。

元夫は、4時間かけて会いに来た。

そしてまた4時間かけて保護会に戻る。


私は、実家の近くに家を借りて

長男と一緒に暮らし始めた。

そして、それからしばらくして

満期を迎えた元夫と

また、一緒に暮らし始めた。


私は、仕事を続け

元夫も友達の所で仕事を始めた。

元夫は、最初はいつも真面目に頑張る。

だけど、いつも少しずつ崩れていく。

それでも1年くらいは頑張った…


元夫は、やはり仕事を休みがちになっていった。

そして、結局仕事に行かなくなった。

いつものことだ。

私は、結局疑い、鞄の中を見たりしていた。

覚せい剤は、放っておかない…

強い意志がないと止めることは出来ないのだろう。


そのうち、家に帰らない日も出てきた。

元夫は、女遊びはしなかった。

でもいつからか、私も知っている

元夫の友達の奥さんに何かを頼まれた

と言いながら、そこに行っていたようだ。


ある日、夜中に大喧嘩をして離婚すると言った。

翌日、目が覚めると

元夫が、すごい大きないびきをかいている。

そばには、睡眠薬が空になった袋が大量にある。

焦った私は、救急車を呼んだ。

すると、かかりつけの医師にも連絡して欲しい

と言われた。

私は、かかりつけの医師に連絡した。先生が

「救急車で病院に寄って欲しい、看護師を一緒に行かせる」

と言ってくれた。


処置をしてもらい落ち着いた後

長男は実家にお願いして救急病院に泊まった。

元夫は目を覚まさなかったが

ベッドで暴れまわるので、縛られた。


翌日、元夫が目を覚ました時は

安心したが…

それと同時に

元夫を放っておけない…

離婚すると言ったら本当に何をするか分からない…

と思った。


それからも

元夫の行動は

どんどん酷くなっていく…

18話 忘れられない光景

元夫は

自分は警察に内偵されているとか

マンションの入り口にレンタカーに乗ったまま

停まっている車がいるとか…

おかしいことばかり言っていた。

私は薬でボケているんだろうと思っていた。


そんな中…

元夫は、よく行っている

友達の奥さんの知り合いで

入院中の人の家に隠れると言い出した。

私も一緒に行ってくれと言う。

長男も学校を休ませ、一緒に行った。

よくいう薬を抜くということだ…


10日くらいして家に戻って数日たったころ

警察が来て、元夫は連れて行かれた。

元夫が話していたことは

本当だったんだ…と驚いたが…

1度目の人生の時は、帰って来たはず…


元夫は、やはり帰って来た。

検査で覚せい剤が出なかったのだ。


それから少しして

元夫の母が危篤という連絡が入った。

家族みんなで四国に渡った。

無事に母にも会え

翌日、母は亡くなった。

母の死に目には会えて良かった…

翌日、葬儀の日

テレビをつけると

阪神淡路大震災の光景がずっと流れていた。

四国は揺れもほとんどなく

みんな無事だったが…

あの光景は忘れない。


葬儀も済ませ

落ち着いてから帰った。

それからは、いつもの生活に戻った…


その頃、長男は喘息がひどくなり

夜中になると苦しくなり

病院に連れて行くという生活が続いており

学校も休みがちだった。


母の葬儀から半年くらい経った

ある日の朝、長男はまた夜中に苦しくなって

病院に行くほどではなかったが

学校は休ませた。

私が、ゴミを出しに行こうと

玄関の扉を開けた瞬間…

大きく扉が開いて

すごい人数の人達が入って来て

ガサ状を見せられた。

警察ではなく

国の機関、麻薬取締官

通称「麻薬Gメン」「麻取り」だ。

家の家宅捜索が行われ、

トイレから注射器が出て来た。

そして、その場で簡易的な検査が行われ

注射器から覚せい剤の反応が出た。

元夫は、二人の捜査員の人に抱えられ

連れて行かれた…

その、光景は

私にとって忘れられない光景となった。


元夫、4度目の逮捕…


まただ…

いつかこの日が来ると

分かってはいたけど…

絶望する気持ちは止められないんだ…


麻取りは留置場がないので

すぐ拘置所に移送される。

拘置所で取り調べをするのだ。

元夫は、またも

「待って欲しい」と言う。

私に、選択肢はない。

まだ、「あの人」に会う時ではないから…


新聞に載ったりすることはなかったが

安い所に引っ越すため

長男の環境を変えるため

親友の家の近くに引っ越しをした。

暑い中、父に手伝って貰った…

その光景も忘れられない。


9月に入り、長男は転校した。

学校に行った初日

家で心配していたが

長男は初日から友達を沢山

連れて帰って来たので安心した…


引っ越したマンションは

拘置所も自転車で通える距離だったので

いつも通り、面会に行き

手紙を書き…という毎日。

生活保護も受けることができた。


私は28歳になっていた。

元夫は35歳、長男は9歳。


「あの人」に会えるまであと11年…

19話 なぜ別れられないのだろう

私は…

「あの人」と会うために

今回の人生では、忠実に生きると決めた。

そのためなら、どんな我慢でもする。

でも、1回目の人生ではなぜ元夫と

別れることが出来なかったのだろう。

子どものため…

元夫のため…

色々あったとは思うが

私は私が分からない…

自分がなぜここまで出来たのか…

今の私には

ただ…バカだったとしか…言えない。


今回の事件の弁護士は

私選弁護士に頼んだ。

元夫の友達の奥さんとその仲間が

お金を出してくれたのだ。

何か言われては困ることでもあったのか…

それは分からなかった。


弁護士さんは、元夫から

「嫁と子どもが心配でたまらない」

と言われたという。

「そんなに大事なら何で悪いことをするのか」

と言ったそうだ。

分かっていても、それが出来ないのが

覚醒剤の怖さなのだろう。


私は、今回も証人出廷した。

検事に

「何度も何度も同じことをしているのに

あなたに更生させる自信はあるのですか?」

と言われた。

最もな意見だ…

私だって、分かってるよ。無理なことは…

と思いながら、

「自信はあります」と言った。

弁護士さんの活躍もあって

求刑2年半

判決は2年だった。


今回、初めて私の住んでる市の刑務所に

移送になった。

私は、パートに行き

面会は、早退させて貰って

自転車で行った。

暴力団関係の人も多く

怖かったけど…

すぐ会いに行けるのは楽だったから

怖いのは我慢できた。


長男は新しい学校で

バスケットボールを始めた。

長男と友達とスポーツセンターに行ったり

3on3の試合を観に行ったり

あっちこっちに連れて行った。

それくらいしか、してやれなかったから…

元夫は、借金を残して行ったし

働いたお金を生活保護に申請すると

全部ではなく1部は免除されて、

生活保護から引かれる。

借金を返すと、僅かしか残らない。

質素な食事しか与えてやれなかった。

月に一度だけの外食は「吉野家」

それでも長男は喜んでくれた。


スポーツセンターにバスケをしに行った時に

見たことがある人に会った。

その人は、元夫を逮捕したことがある

捜査員の人だった。

お互いに子どもも一緒だったし、知らんふりをしたが…

後に、この人は私の支えとなる。

だが、1度目の人生の私は

この時は、まだ知らなかった。


少しずつ「待つ」生活にも慣れ

ゆっくりと日々は流れていった。

元夫が逮捕されてから

1年8ヶ月後

元夫が帰って来る日が決まった。


1度目の人生では

帰って来ることが決まった時は

嬉しい反面、怖かった。

元夫は、私がいなくなったら

もっと酷いことになると思っていた。

しかし、そのことにも疑いを

持ち始めていたから…

それでも私は元夫が更生すると

信じたかった。

誰のせいでもない…

私が納得したかっただけなのかもしれない。

だから別れられなかった…


でも、今はそんな理由ではない。

元夫と別れる日に向かって

ひたすら、時が経つのを待つだけ…


私は30歳になっていた…

「あの人」は

別の人と結婚していた…時代。

20話 久しぶりの家族生活

元夫は帰って来た。

始めた仕事は、元夫の知り合いの運送会社で

下請けで宅配の仕事をする。

私は、地図を見るのが得意だったので

パートを辞め、一緒に配達をした。

繁忙期は、朝から夜遅くまで働いた。

休みもなく、長男には寂しい思いをさせた。

一緒に働くのは嫌ではなかったが

よくケンカもした。


繁忙期は結構良い収入になるが

それ以外の時にはほとんど仕事がなく…

私は、長男が中学生になると同時に

パートで働いた。


結局、元夫は運送会社の社長と喧嘩をしてしまい

辞めてしまった。

それからは、たまに知り合いの所に仕事に行く程度で

前にも増して出歩くようになり…

怪しい行動ばかり見られるようになった。


そんな頃、元夫から

いつか、私がスポーツセンターで会った

捜査員の人とばったり会ったと聞いた。

それからは、たまにその人から連絡が入るようになり

はっきりは分からないが…

情報提供をしていたのではないかと思う。

自分に何かあったら

その人に連絡をするようにと

電話番号を教えてもらっていた。


それからしばらくして…

私は自分の身体の異変に気が付いた。

妊娠したのだ…

1度目の人生では、産むかどうか

すごく悩んだ…

でも、ずっとできなかったし…

もうできないと思っていたから

嬉しくもあった。

もしかしたら、これで元夫が

変わってくれるかもしれない…

これは、神様が与えてくれた命だ…と思った。

 

でも、今回の人生も同じ考えだ。

結果はどうなっても

二男に会えないという選択をするわけない。

私は産むと決めた。

そして、仕事も辞めた…


生活保護の担当に

妊娠したと言ったら

生活が大変なのに

なぜ、避妊しなかったのか…

みたいなことを言われた。

その担当は女性だった…

確かにそうかもしれないが

せっかく授かった命に対して

そんな言い方はひどいのでは…と思った。


妊娠したことは元夫も

すごく嬉しかったようで

お腹に話しかけたりしていた。

7か月頃に、病院の先生に

男か女か聞いたら、見えないから

女の子かも?と言われて

元夫は、喜んでそのつもりで話しかけていた。

しかし、9か月の時に、もう一度確認をしたら

男の子だと言われた…

私は男の子が生まれると知っていたが、

元夫は女の子が欲しかったようでショックを受けていた。

長男も歳の離れた兄弟ができることに

戸惑いながらも、楽しみだったみたいで

名前も一緒に考えて…

その時は、家族みんなが生まれるのを、心待ちにしていた。


生まれる時には

夜中に陣痛が来たので

元夫も一緒に病院に行き

付いていてくれ…

13年ぶりの出産は初産と一緒と言われていたけれど

思ったよりは早く、無事に大きな男の子が生まれた。

それが、二男。

二男にも会うことができた。

これまで、辛抱して良かった…

本当に本当に…

嬉しかった。


長男は、中学2年生になる前だった。

本当に歳の離れた兄弟…

二男の名前は、長男の考えた名前となった。


私32歳。元夫39歳。

長男13歳。二男0歳。


私は幸せの中にいた…


その頃「あの人」も父親になっていた。

会えるまで、あと7年…


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