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万年筆を集める人

 私は万年筆を20本程度持っている。バイトで汗水たらして稼いだ結果だ。だが万年筆はインクを垂らしてはいない。そう、ほとんど書き心地を確認したら洗浄して大切にしまっているのである。このことについて、つらつら語ってみたい。

道具と美術品の間

私は「美しい道具」が好きだ。ただの美術品は鑑賞されること、ただの道具は使われることで役目を果たす。しかし「美しい道具」にはその両方をもって真価を発揮する。例として、日本刀は私を切り捨てた鮮血をもって初めて完成する(あ、いや、止めてください)。

セーラー万年筆 四季織「織姫」

万年筆は「美しい道具」だと思う。見てくださいよ、この美しさ。万年筆は書くことを前提に作られ、筆圧のいらない心地良い筆記体験を提供する。一方で、美しい装飾が施されており、深夜に酒を煽りながらニマニマと鑑賞するのにも適する。

 ノートの上をニブが滑らかにすべり、インクが艷やかに光る事で、記憶が記録に昇華する瞬間にこそ万年筆の真価が発揮されるのである。

じゃあ使えよ

 ↑反論の余地もございません。だがしかし!私には万年筆を使えない明確な理由があるのです。それは、消耗するのがもったいないのである。「しょーもな、このnote読むのに消耗した時間の方がもったいないわ」と感じた方はスキだけ押してもらって、セーラー万年筆のオンラインストアへどうぞ。

 道具は使用すると摩耗するし、汚れたり傷ついたりする。大事に使っていても壊してしまうことがある。万年筆も例外じゃない。使い続けても新品同様の万年筆があったら無茶苦茶欲しい。富、名声、権力に次いで4番目に欲しい。使うことで美術品としての価値が下ってしまうことに耐えられないのである。

美しさを壊すのが怖いから使えないという臆病さは、きっと私の恋愛観にも通ずるのかなと感じる。木下龍矢さんの以下の短歌が刺さり過ぎて、刺し身になっている。(?)

恋愛観はさておき、このような臆病さ(ただの貧乏性?)は誰しもが持っていることではないだろうか。少なくとも私は「キャ〜このケーキかわいい〜♡もったいなくて食べられない〜♡」と言った次の瞬間にフォークを突き刺す事はしないのである。ケーキの剥製を作るタイプの人間である。あなたはどうだろうか?

収集癖

買って、眺めてニンマリし、少し試し書きして頷き、大切に鑑賞する。これが私の万年筆の楽しみ方である。「万年筆は使ってこそ!」と主張する人とは馬が合わないのかもしれない。(でも万年筆を好きという意味でロバは合っている。)

きっとこの趣味は際限が無いのだろう。海賊王になるとか、もう少し終わりが明確なものを楽しみにできれば良かった。

結論

万年筆収集はいいぞ!

※私はセーラー推しです

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