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もしもし騎士よ騎士さんよ(いち)2023/12/06

最近人と関わって話しているとき、ふと思い出してしまう一つの言葉がある。「ポロネギさんって文学的な喋り方するよね」というものだ。いや、別に意識してこうしているわけじゃあないし自然体でこれなのだけれど…と思っていると、最近かかわった人間にこう言われた。「硬い」と「難しい」。じゃかあしいわ!こちとら何百冊も本を読んでこうなっとるんじゃ!今更変われるかい!と言いたかったのだが、少しだけ納得してしまったのだ。言葉ってのは伝わらないと意味がない。結局は人や場に合わせて喋らないと宇宙人になってしまうのだ。私は何かを伝えたい派の人間なので「フン…伝わる人間にだけ伝わればいい」とはなれなかった。どうにか言語の幅を広げたいし、硬いのであれば柔らかく、難しいなら優しく言葉を変えて伝えたい。そう思って、とりあえず今日は柔らかく優しい分を意識して書いてみようと思いたったのである。…とは言うても誰かに語り掛ける方式の方がきっと覚えがいいので、巷で噂のラバーダッキング法を使ってみようと思う。うちにアヒルちゃんは居ないので騎士のスタチューになってしまうが、練習にはきっといいだろう。以上、何時もの麺固め大盛終わり。これからは柔らかくいってみよう。

ねえ、柔らかくしゃべるってどういう事だろうね?私は、例えば竹をメンマに変えるみたいなことだろうと思うんだけれど、どうかな?硬い言葉を発酵させて、旨味を増しながら柔らかくするんだ。保存ももちろん発酵しているから長く持つだろうね。という事は柔らかい文章というものって、長く歴史に残りやすいんじゃあないかって考えたんだ。例えば枕草子とか。あれって「春は日が昇ってるとき空がきれいな色していてすごく良いよね…」って昔の人が作った柔らかな文だと感じる。そう思うとやっぱり人に伝えるのは何か「わかる~!」っている部分が大事だと思うんだ。その中に自分自身の意見も混ぜ込んで「面白い目を持っているなあ~この人にはこう見えるのか~」と読んでくれている人にわかってもらうっていう、触感や香りに一味加えた炊き込みご飯みたいな面白さがあって作られてるって。だから硬さは灰汁と歯ごたえが良すぎてかみ砕けないものとか臭いが強すぎるんだろうなって思うんだよね。だからこそスパイス程度の味加減で王道の物を出すっていうのが人に伝えることだとちょっと自分の中では今わかりつつあるんだ。この考えに賛成かな?そうだといいのだけれど。

見返してみたら本当に私が書いた文なんかこれ?となってゾゾゾとはなったが、意外とうまくいっているのかもしれない。この「ゾゾゾ」が自分の中の、こういう文体じゃないと文章じゃあないぞ!と決めつける意思に背いて自由にかけているのかも。そしてなんだか面白いし。ちょっと続けてみようと思う。


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