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「山高跳び六方」日記

専門店で買いに行くぞという気持ちが出ると、向かう足取りは羽より軽く、一歩一歩がゴーレムのように地盤を固める。ワクワクと好奇心が入り混じった足で、目的の場所へと向かうのだ。閉店まで一時間。迅速に、それでいて確実に仕留める、いや、決めなければならない。目を刀のように定め、通行人を撫で切りながら店へと踏み入る。そして、探す。どこだ、どこだ。カウボーイハット、違う。野球帽、違う。これだ、ボーラーハット!絶対買うという姿勢で店員さんにとってもらう。それで、被る。「お似合いですよお〜」と言われたが、おれは心が捻れているので誰でも言ってるんだろうなと思いつつ、なんだかんだ少し嬉しく思う。ちょこっと大きめだな、と思ったのでMサイズを購入。値段を見ていなかったので5000円以上するのにはびっくりした。しかし動き出したら止まらない暴走機関車のように、即決一括カードで購入。来月の私に支払いを託しながらもご機嫌な心で帽子を被って帰ったのだった。

何故ボーラーハット、山高帽を衝動的に買ったのかというと、近々オフ会をする予定があるのと、元々宮沢賢治が被って立っている画像を見て、いつかこんな立ち姿で居たいなあと思ったからである。プライベートでいるときくらい、自分が満足した服装で人と出会いたいのだ。それが今日叶ったのだ。この帽子とトレンチコートのコーディネートは目を見張るものがある。物悲しさ、哀愁、ハードボイルド…そういったテイストを感じさせる佇まいになれるのだ。出来ればクツは黒い革靴がいいのだが、それは会社を思い出すので辞めておく。スニーカーでも合うものは合う。

オシャレした〜いとなる時期と、もうなんでもいい!着れれば!という時期を行き来する生き物なので、バッチリキメるときはキメるけど、普段行くコンビニはもうパジャマでいいでしょとなる。モノグサなんだか凝り性なんだか。こういった矛盾が人間らしい。

矛盾といえば、自分も含めて友人には優しい言葉をかけられるし励ませるのに、自分のこととなると途端に励ましが少なくなってしまうのはどうしてだろう。恐らく、推測だが、客観的に見るのと自分で受け取るのは別なのだろう。自分の事なのにこんなにも差があるのは、特別感を醸し出していてちょっと面白い。自分の人生だからこそ本気でいかなくちゃとか、他人行儀では居られないのだろう。一筋縄ではいかないなあ心は。

さて、今日の日記はここまで。何時もの台詞で終わりとしよう。
明日も、乗り切って行きましょう。

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