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もしもし騎士よ騎士さんよ(そのに)2023/12/07

もしもし騎士よ騎士さんよ、この世で一番お前ほど体の硬い者は無い。どうしてそんなに硬いのか。そのにだ。

硬いといえばダイヤモンド。私にゃ手の届かないものだけれども、持ったことはあるかい?キラキラしていていいよね。私は偽物の奴の方が好きだけど。何故かといえば、そりゃあなくなっても困らないし諦めがつくからかなあ。人の心も、なんかダイヤモンドだっていう人も居るよね。確かにいろんな光を浴びてとても輝いているけれど、炭素だから燃えるし、傷ついちゃあ価値が下がってしまう。それなら偽の方がまた作れるしいいかなあなんて思ったりするわけだ。どうせ見る人が見なきゃあわかんないしいいんじゃあないか、とね。

じゃあ心は偽物の方がいいの?というか偽物の心ってなんだよ、概念的だなあと思っている人も居るとは思う。私は私だ、と胸を張って言える人はいいね。ずっとそれを持ち続けてほしい。私は何だかんだそれができていないから、その自分を大切にしてやってくれよなって思う。まあそう簡単に手放せるものでもないよな。で、私はどうかというと本物の心なんてものは無いと思う。だって状況、気温、人や場所、時間にだって自分の心は変っていくものじゃない?だから本当の自分なんてものは無くって、瞬間的な私ならいるんじゃあないかなあって思ってるんだよね。そんな考え、なんだか刹那的じゃあない?ッと思うだろうけれど、それでいいのではと思う。その瞬間自分を愛せてさえいれば、どうとでもなるんじゃあないかって。私はその瞬間的私に揺さぶられまくって困難でこんなにヒネちゃう考え方しちゃうわけだけどもね。ああ、愛してえなあ。ひねもすひねもす。

それで、ダイヤの話に戻すんだけれど、あ、ダイヤグラムじゃなくって偽物のダイヤモンドね。瞬間的に輝くんなら偽でもいいから愛してやりてえなって思うわけなんだよね。SNSの私も、仕事の私も、散歩の私も、こうやって文字を打っている私でさえも偽であるかもしれないが、愛してやりたいってさ。ダイヤモンドだって価値がつけられないと「なんだかきれいな石ころだなあ~」という感想しかないしね。だから価値を自分でつけたいってさあ、思うんだけどねえ…でもなあ~!上手くいかないもんだ。なんだかんだグサリグサリってさ、自分が自分を刺すんだよねえ。「このままではまともになんてなれないぞ」って。これがなかなか痛い。

さて、まともとはよく聞くがどういう事だろう?そりゃあ世間一般的にはおかしな事をしない(えらく抽象的だな)人の真似をすりゃあいいんだけれども、周りにゃ異常以上がたくさん居るじゃんか。「こうなってはならない」対象の人間が横柄してのさばってやがんの!そういうやつらに動かされてへーこらしているわけで内心「ヘッ!これがまともってか!?だったら世話ねえな。」って思うわけだ。だから最近、何が正常かが本当にわからなくなってきたんだよね。「普通の人間」っていうよくあるドラマにいるようなキャラクターなんざ居ないのは100も承知なんだけれども、それ相応にまともを演じている自分がいるのがなんだか気に入らなくってさ。もう、バカ!それじゃあ良いように使われて終わりじゃあないか。と言い聞かせているんだが体は踊るやら跳ねるやらで、言う事聞かずに舞台に上がっちまう訳だ。一般の木Aになりきってしまう訳。どうしたものかと思う。

いや、待て。さっき言っていたじゃあないか、ダイヤモンドも価値はつけなきゃ石ころだって。

さっき言ったとおりに一般の木Aに名前を付けて自分なりの価値をつけてみたらいいのではないか?と思う。これならちょっとは飲み下せそうかな。そのキャラクターすべての部分を愛してやれって言っているわけじゃあなくって、一つだけでも「いいじゃあないか!」と言える部分を見つけて愛してやる、まずはそこから始めてみようじゃあないか。

なんだかこれってブランディングみたいだなって思った。木のように掘るアレではないにしても、何かしらを彫る作業には似ているんじゃあないかって思う。とりあえず心に一つ、刻み付けていこうかな。

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