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「さては人間変わり種」2023/7/17

物事を始めるには新鮮さが大事だ。この日記もそうだ。うおーっ!やるぞ!という気持ちが無ければ次第に気持ちがまるで問題を起こした企業の株価のように下落していき、やれてない自分を責めることとなる。結構優柔不断な私はそういう事が多いので、友人の「これ、オモロイぜ。やってみな」を即実行に移すよう思考を変えようとしている。後悔はやったあとにするのが良い。…とはいっても、やらないことも多いのだが。まだまだ切り替えは難しい。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言われるがそう人間が瞬時に変わることはできない。ゆっくり、ゆっくり変わっていこう。

変わると言えば、前述の通り人間の性格というものはある一定においてはゆっくりとしか変わらないが、状況や時間によっていともたやすく変わる部分がある。私はそれをどうにか察知できないかなーと思いつつ、自分で「ちょっと機嫌悪いかも」といったところも客観視出来るようにしたいなって思う。日々関わっている人だからこそできれば気付いてそれを解消出来るような対処をしてあげられればなと思うし、そういう事が出来るのは自分がまずどんな状況か把握してからだと思っているから。少し、おせっかい過ぎるだろうか?エゴイストだろうか。だが私は袖振り合った縁であろうと助けを求められたのならできる範囲で助けたいし、それを見逃す事が苦しいのだ。私がそういう状況だったとして、手を差し伸べられたならとっても嬉しいから。だから私はできる範囲で手を伸ばしたい。それが偽善と呼ばれようと、自己満足と言われようとやらない理由にはならない。私がやりたいから、やるのだ。

「自分がまず出来てから」に関わる事なのだが、友人に「他人を愛す資格のある人間は自分を愛せる人だけだよ」って、自分に対しての皮肉交じりに言ってしまったことがある。ド直球に言うなれば私は私の欠点をよく見る癖があり、その欠点も「ま、自分だしな」とまるっと愛せてはいない。その友人には自分の事を棚に上げて酷い言葉を吐いたと思う。後日謝ろう。とりあえず今はどうしたら自分の事を愛せるのだろうかと考えている次第だ。友人の私と合わない部分は「まあこの人はこういう味があるよな」と受け入れられるのに、自分の事に対しては劣っている、周りが出来てるのに何で私は、そういった言葉で自分の事を責めたりする。友人には「それもあっての◯◯さんじゃん!」が出来るのに私自身に優しい言葉をかけて愛せてはいないのは何がキッカケなのだろうな?と目をつむって考えている。まあこれもまた、過去を見たり人を見たりして考えていくとしよう。

さて、日記は終わりだ。ちょっと照れくさいけれどこんな言葉で締めくくるとしよう。

愛して止まない友人達が、どうか安寧の時を過ごせますように。

それでは、良き夢を。

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