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料理から道理を見出す2023/9/7

 最近料理を始めた、というよりはやり直したが正しいだろうか。引っ越し前から余裕が十二分にあるときは自作のスパイスカレーやカオマンガイ、麻婆豆腐など好んで作っていたものであった。しかしまあ労働という形で押しつぶされてUber Eatsや出前館の犬となり出されたものを食べる、なんだか人間味が焼失したような暮らしをしていた。時には塩パスタを作って食べることもあったけれど。

 それからいろいろと好きなものを忘れていき、摩耗と無味乾燥と何もない自分に恐怖したが、転機があった。引っ越しという転機や労働を一時的に休む事になったことだ。それから私は好きだったものを拾いなおしていった。料理は引っ越しの際に消費期限の切れてしまったホールスパイスやテンメンジャン、魚醬を見て「ああ、これならアレを作って食べれたなあ」と思いにふけっていると、料理という行為が好きだったことをようやく思い出した。少し涙が出た。

 引っ越し後は自分が好きだった料理を何とか行使できるようになった。また作った料理に反応をくれる人も居るので、それがモチベイションになっていることも一因かもしれない。ブランクはおおよそ2年半。これを取り戻すためにも昼夜はほぼほぼ料理を担当した。皿洗いは苦手なので一緒に居てくれてる人にまかせてしまうのは申し訳なかったが。

 料理した物の完成品の味はまばらだ。まるで定まっていない自分自身を表しているようだ。そして結局他人に評価されていないと自己を確立できないという事にも、少し心に濁った液体を感じた。「これでいい」が決められなくなってしまった自分に自分が非難する。「おまえは誰かに評価されていないと自己を確立できないのか」と。「しょうがないだろ、これから取り戻すんだから」と言い訳すると「これからっていつだよ」と返してきた。

 私は答えに窮した。いったいいつになったら自己を確立できるのか?わからない。未来のことは私だって。でも私はこれまでの経験則で答えた。「苦手だった会話が3年でマシになったんだ。とりあえず目標設定してから自己確立を目指すよ」と。少し苦笑いをして「ま、それならできないことはないんじゃね?諦めるなよ。それから、必ず人を頼れ」私の中の皮肉屋はそう言って黙った。意外と優しかった。そりゃそうか、私の影だものな。
 とりあえず何かを生み出さなけりゃ辛い性質の私は、まずは日々の生活の料理によって自己の確立についてのヒントを得ようと思う。何かを作って「これでいい」を必ず見つけてみせよう。小さなことから発見をするのだ。

さて、今日はここまで。これを読んでくれた人にも幸多からんことを。
愛をこめて。

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