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無意識のバイアス:第二回読書会

バイアスについて語る会の2回目メモです。前回の概要はこちら。

私たちは本当のバイアスに気付いていない

前回の読書会では、バイアスはまだまだ意識して制御できるものだと考えていました。女の子だからピンク色とか、イタリア人は情熱的とか、最近の若者はやる気がないとか、そういった括り方をするのが偏見のもとなので辞めていこう、といった話をしました。しかし本書を読み進めていくと、ここで語られているバイアスはもっと根源的で本能的で避けがたいものとして描かれていることに気付きました。

たとえば「ゴキブリは気持ち悪い」くらい、どうしようもなく反射的に感じてしまうもの。ゴキブリを実際に見なくても、ゴキブリという単語を聞くだけで嫌な気持ちがする、Gというアルファベットを見るだけで嫌悪感を示す、それくらい本能レベルで感じるもの。アメリカにおける黒人差別は、そういうバイアスなんだそうです。

3~6章では、様々な場面でこうした本能レベルで差別されてきた黒人たちの実際の記録が紹介されていて、非常に重たい内容でした。でも、これを「差別はよくない」の一言で片づけるのはとても難しいです。「ゴキブリを気持ち悪いと感じてはいけません、それは差別です」と言われたって、気持ち悪いものは気持ち悪いんだからどうしたらいいんだよ、ってなりますよね。

日本におけるケガレという差別

日本ではあまり人種差別を感じる機会がありませんが、似たようなバイアスは存在するだろうかと考えたとき、「ケガレ」という概念にぶつかりました。日本人は根源的に「ケガレ」を嫌う傾向があると思います。

たとえば犯罪者、前科のある人が出所後に社会復帰することの難しさを研究している人がいます。その研究によると、多くの会社は前科者を雇用しようと思いません。一度失敗した人にはとても厳しい文化があります。
安倍内閣が「再チャレンジできる社会にしよう」みたいなことを掲げていた気がしますが、そうやって政府が主導でスローガンを立てたって再チャレンジは促進されません。失敗を極度に恐れ、失敗した人を徹底的に排斥する文化が醸成されています。
皆さんもおさない子どもの頃から、道端でゲロとか犬のうんことか踏んだ子を「えんがちょ」といって遠ざけ、不浄なケガレと距離をとってこなかったでしょうか(人によるか)。

会社の中で失敗した人はどうなるかというと、そもそも「誰かが失敗した」と分からないようにシステム化されているんですね。何かを始める前に稟議をまわして、みんなでハンコを押して、みんなで合意して進めたことにして責任を分散する。そうすると誰かが失敗したのではなく、なんかうまくいかなかったから仕方ない、という雰囲気になって、特定の人がケガレることを防いでいるんだと思います。
だから、上層部の意見を無視して自分勝手に行動して失敗すると「ほれ見たことか」「あんな勝手なことするからだ」と烙印を押されて「えんがちょ」されてしまうのです。

ポリティカルコレクトネスに潰される

アメリカで黒人は常に差別されてきて大変だという話でしたが、白人の側でも、差別したくないと思ってるのに何を言っても黒人差別と結びつけられてしまい何も発言できなくなる、といった現象がおきているようです。

上にも書いた通り、ここでの差別というのは本能的に感じてしまうものなので、それを良くないものとすると、それこそ人間性の否定になります。
おそらくこうした本能は、外的刺激に対する脳の負荷を軽減するためにあると思います。すべての異変に反応できるように気にし続けると疲弊してしまいます。ある程度ステレオタイプで分類して、これは安全、これは危険、と分類することで脳は処理を軽くしています。
バイアスのない平等な世界というのは、そうした処理を許さず、常に頭をフル回転させなければいけない、とてもつらい世界になってしまうでしょう。

行き過ぎたポリティカルコレクトネスで息苦しさを感じるのも、まさに同じ原理だと思います。だから私たちはバイアスを取り除くのではなく、バイアスがあることを前提に、そこでどうやってお互いを尊重していくかを考える必要があるのではないでしょうか。

バイアスで問題になるのは、相手をカテゴライズすることで分かった気になってしまうこと、そして相手のことをきちんと観察できなくなってしまうことだと思います。コミュニケーションを妨げ、相手の理解から遠ざかってしまいます。そこをどうやって改善していけばいいでしょうか。

バイアスを取り払う「みそぎ」の儀式

日本では、ケガレた人に再帰のチャンスが全くないのかというと、ちゃんと復活の儀式も用意されていました。それが「みそぎ」です。
滝に打たれて身を清めるのか、出家して仏様のために尽くすのか、形はいろいろあると思いますが、似たような概念は現代にも受け継がれていると思います。刑務所に服役するのはあんまり「みそぎ」と見なされていないですが、ボランティア活動に奉仕するとか、土下座して謝罪するとか、何かしらみんなが「そこまでするなら許してあげよう」と思えるポイントもあると思います。

ヘビ嫌いやクモ嫌いは科学的に直せる、という研究もあるそうです。本書の中でも、訓練を積んだ警察官が白人と黒人を平等に扱うことができた、という事例もありました。いろんなバイアスは訓練によって克服することもできるようです。

たとえばゴキブリについて学ぶこと。ゴキブリの卵について調べてみたことはありますか? 昆虫の卵についてはいろいろ調べたことがあるのに、ゴキブリの卵のことは知ろうとも思わない人が多いでしょう。でも一度調べてみると、こんな風に生まれてくるんだ、みたいなことが分かります。今まで符号的にイヤなものと思っていた存在を、きちんと認識できるようになります。
さらに、ゴキブリの歴史を調べたり、生態系における位置づけを知ったりすれば、少しずつゴキブリについて納得できるようになるかもしれません。会いたくはないけど、いてもいいかな、という境地にたどりつくかもしれません。

そんなことしたくないですけど(根源的なバイアス)

脳の可塑性、変化の可能性

Growth Mind SetとFixed Mind Setという考え方があるそうです。脳が常に変化する、成長するタイプの人と、脳は変化しない、その人らしさはずっと変わらない、という頑固なタイプです。
どちらの考え方かによって、バイアスへの対処法も変わってくるのではないでしょうか。ステレオタイプに囚われやすいFixed Mine Setから、バイアスを乗り越えられるGrowth Mind Setへと変わっていきましょう。

ということで、次回の読書会は6/13(月)を予定しています。本書も後半に入って、何かしら解決策を提示してくれることを期待していますが、果たしてどうなるでしょう。

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