経験と教育:経験の定義
前回、経験に頼った教育が最近流行ってるけど、そればっかりじゃダメだよね、という経験への批判について紹介しました。今回は第三章、そもそも経験とは何か、というのを紹介していきます。
連続性
経験というのは連続的で、生きている時間はすべて経験です。授業中に「ここから経験をスタートします。はいここで経験は終わりです」と区切れるようなものではありません。
もし教育的観点から「生まれて初めての経験をさせてあげる」ということがしたくても、用意したコンテンツを生徒が過去に経験している可能性は否定できません。事前に「こういう経験はあるかな?」と聞くこと自体も、生徒の経験の質を変えてしまう可能性があります。
経験というのは連続的なので、その中の一つを切り出して評価することができません。大事なのは流れだと筆者はいいます。たとえば「成長」というのもいろんな方向性があって、「強盗のスキルがめきめき向上している」といったタイプの成長も存在する。本人のやる気と課題解決タスクがマッチして好循環が回っていたとしても、それが反社会的な方向なら教師としては止めなければいけません。
経験から教育するというのは、そうした流れを見極めて導くことが教育者として重要になってきます。
相互作用
経験から学ぶときに重要なのは、本人の気持ちです。どれくらい知りたい、学びたいと思っているか、そういった内的条件が重要なことは明白でしょう。
ただもう一点、客観的条件も重要だと筆者はいいます。本人が知りたい、学びたいと思っていることを周囲が与えるかどうかは、全く別の問題です。早く答えを教えてほしいという生徒に対して、ヒントだけ与えて自分で考えるように促す先生も多いことでしょう。
経験というのは、そうやって自分と相手の相互作用によってはじめて生み出されるものです。決して自分一人で経験することはできないのです。
自分一人で大自然あふれる森の中を散策して、一人で新しい経験したと思っても、その森を昔から守ってきた地域住民がいたり、森の存在を教えてくれた友人がいたり、さまざまな周辺環境との相互作用が存在するのです。
伝統的教育の欠点
伝統的教育は、生徒が何を学びたいかなんて気にせず、とにかく効率よく知識を詰め込むことを目的としています。
そして問題なのは、いざ社会に出てその知識が役に立つシーンが訪れたとしても、学んだことを思い出せずに終わってしまうことです。学校のなかで詰め込まれた知識の活用の仕方が分からず、テストで点を取る以外の応用ができないのです。
前回の読書会でも、似たような内容でピアノの事例を紹介しました。ここでは大人になってからたまたま過去の詰め込み教育を役立てることができましたが、そうならず塩漬けのまま終わってしまう知識の方が実際には多いと思います。
姿勢
教育を通して身に着けてほしい重要な能力は、常に学び続けようとする姿勢だと筆者は言います。
将来困らないように、大人になったら役に立つから今勉強しよう、という姿勢は間違っています。そうやって現在の自分をないがしろにする経験を与えていることになります。そうではなく、今の自分の経験が将来にまで連続してつながっていくんだ、ということを意識する必要があります。
もし経験を重視する進歩主義教育を行ったとしても、生徒が今ここで学び取ろうと思わなければ意味がありません。大事なのは自分をやる気スイッチが入った状態にできるかどうか。
自己の経験から学ぶというのが、最も貴重な才能なのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?