ジョン・デューイ「経験と教育」
内容を知らないまま読み始めた本書ですが、どうやらこれは最近流行のSTEAM教育みたいなやつへのアンチテーゼかもしれませんね。めっちゃ気になる内容。とりあえず1章と2章を読んだので、序盤の筆者の主張をまとめていきます。
ちなみに今回、うまれて初めてKindleで読んでます。今までずっと紙の本だったのですが、電子でも問題なく読めますね。まぁ毎日noteとかslackとかスマホで読んでますからね。
教室での座学 vs 実践重視の教育
この本は1938年に書かれたようですが、その当時から「伝統的な教育」である学校での座学みたいなものは、子供を抑圧していてよくない、と批判されていたそうです。それに代わって「新しい教育」として実践経験を重視したスタイルの教育がもてはやされつつあったようです。
最近でいうと、経済産業省が「未来の教室」などのコンセプトで「学びのSTEAM化」を訴えていますが、かなり近い構図ではないかと思います。
こうした一人ひとりの実体験を通じた学びの方が、子供の心にも深く響いて充実した学習になると考えることは多いです。私もそう思ってこの「未来の教室」のプロジェクトを応援していました。筆者はそこに警鐘をならしているのです。
何を教えるべきか
これまで人類が蓄積してきた知見を効率よく子供に教えるのが伝統的な学校教育の目的だと考えられます。しかし、それが今や「詰め込み教育」などと揶揄されて、もっと子供の個性の尊重、非認知能力の向上など、心とかやる気にフォーカスしていこうという風潮があります。
本書では、「進歩主義教育」と呼んでいますが、とにかく経験、実践を重視した方が、本当に子供のためになるのでしょうか。
つまり経験が大事だよね、といって学習させると、それを指導する先生なり親なりの価値観に縛られた、非常に狭い教育になってしまうということです。
これは子育てをしていても実感します。私が親として教えられることは私の知ってる範囲にしかなくて、提供できる経験も私が知っている範囲に限られてしまいます。うちの子は引きこもりがちでキャンプに行ったこともないしディズニーランドに行ったこともない、マンガとゲームばかり楽しむ子になるわけです。それが経験を重視した教育ということになってしまいかねません。
伝統的教育の欠点
詰め込み教育が悪いわけではなく、本当の問題は、それを活用する方法、出口が見えないことだと筆者は言います。
いろんな知識を習得したけど、どんなシーンでどう使えばいいか分からない。だから「三角関数なんて勉強して何になるんですか」みたいな意見がでてきてしまう。だから進歩主義教育では経験の重要性を説くわけですが、そちらにも問題があります。
いろんな経験をしたとき、どれは良い経験で、どれは改めるべき悪い経験なのかの判断が難しいです。徹夜して一夜漬けでテスト対策していい点数を取ったとしたら、それをいい経験として選択してもいいのでしょうか。
経験だけを重視していると、自分にとって望ましい経験、楽な経験ばかりを選んでしまいがちですが、時にはつらい経験、難しい経験も必要になります。幅広い経験を積ませるためには、やはり過去の人類の失敗の蓄積が大事になり、結果的に伝統的教育に回帰することになるのです。
そんな感じで、現在(1938年当時)の教育の問題点についてざっと見ていました。今とあんまり変わらないことを悩んでいる気がします。100年経っても変わらないということは、進歩しないということではなくて、これが最適ということなのかもしれませんね。
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