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読書しない読書会~利害関係を超えた名状しがたい関係

ミラツクの読書会メンバーと2~3週間おきに開催している読書会ですが、今回はちょうど課題図書の切れ目で、各自好きな本を読んできましょうというゆるい設定のもとで開かれました。そして、集まった誰一人として読んだ本の紹介をしないで終わった……読書会とはいったい何なのか……その深淵に迫ります!?

自己決定感と自己責任論

私が先日、鍼を受けたけれど東洋医学はよく分からない、みたいな話をしました。そしたら、西洋医学もよく分からない、という話になりました。

薬の副作用みたいなやつは自分の体調と全く関係なく襲ってくるのですが、それでも眠くなってきたら「昨日は夜更かししちゃったからかなぁ」とか、急にだるくなったら「何がいけなかったかな」と原因を探ろうとしてしまいます。副作用は自然の摂理に反する現象に感じてしまうとのこと。

まぁそれは初回だけで、次からは「この薬を飲んだらこういう副作用があるよね」って予期できるようになります。でも、具体的なメカニズムは分からないので、東洋医学とあんまり変わらないかもしれません。

この、よく分からないことをやってみる、というのは難しいことです。純粋に分からないことは怖いですし、どんな効果が出るか予期できません。なんとなく面白そうなことでも、手を出せないケースは多いです。どうなるか分からない未知のことに責任をとれない。

利害関係のない応援団

ちょっと面白そうな気もするけど未知のことは不安で手を出せない、そうやって一歩を踏み出せないでいるのはもったいないです。そういう、ちょっとした自分にとっての「くらがり」にチャレンジしてみることはすごく大事なことだと思います。

その一歩を踏み出すのに何が一番大切かというと、「仲間」「応援団」ではないか、という意見が出ました。「それいいね!」「がんばれ!」「やっちゃいなよ!」と言ってくれる人。根拠はなくても気軽に応援してくれる、ゆるいつながり。

家族とか友達同士でも、なかなか手放しに応援してくれず「やめときなよ」「ちょっと心配じゃない?」などと止められるケースがあります。物理的な距離が近い関係性、利害関係がからむ者同士だと、素直に応援できなかったりします。

その点、オンラインでつながったゆるい関係で、いろんな話ができる間柄であれば、気軽に応援ができて、くらがりチャレンジの後押しをしやすくなるのではないかと思います。また、アルコールアノニマスみたいなコミュニティも、いろんな話ができてお互いに励まし応援しあえる、ゆるいつながりの例だと思います。

適度な距離感でなんでも話せる、名状しがたい関係性

見ず知らずの赤の他人ではダメで、ある程度相手のことが分かっていて、それなりになんでも話せる。物理的には遠いため利害関係が薄くて、おかげでプライベートなことでも気軽に話せる、そういう不思議な関係性が重要だなぁと思うようになりました。この名状しがたい関係性に、何かいい名前はないのでしょうか。

リアルでは「レンタルなんもしない人」が、こうした名状しがたい関係性を提供するサービスとして回っているような気がします。絶対に需要はあるんです。いい名前がつけば、みんなに認知されて、広まっていくんじゃないかなぁと思います。

こういう関係性って、何かしら共通の話題となる媒体がワンクッションあるのが大事だと思います。いきなり「私はこんな悩みを抱えているんです」とか切り出すのは難しいので、たとえば一冊の本を読んでみんなで感想を言い合う読書会というのは、とてもいい入り口だと思います。

一例として、路上のXという本を読んで、人身売買とか売春について話しましょう、という読書会があったそうです。何も予備知識なしにそうした社会問題について語り合うのはちょっと難しいですが、本の感想を通して語り合うことで、みんなが同じ土俵・同じ目線で議論できて、とてもよかったそうです。

他にも、映画を見るとか、お祭りに参加するとか、何かしら軽い共通点から話を始めるのが、この名状しがたい関係を生み出す最初の一歩としては大事ではないかな、と思いました。

ということで。次回からはジョン・デューイの「経験と教育」という本を読んでいきます。なんの本だかさっぱり分かりませんが、難しい本らしいので、とても楽しみです。

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