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嫌われる勇気 vs 対立の中に座す ~ 読書会メモ

「嫌われる勇気」という有名なアドラー心理学の本の紹介がありました。

どこまでが私の課題なのか

課題の分離という考え方があって、どこまでが自分の関与できる領域で、どこからは自分の課題ではないかを明確にするのが大事だそうです。自分ではどうしようもない課題についてあれこれ悩んでいても仕方ないので。

たとえば娘が中学受験に向けて勉強をしてくれない、というのはどこまでが自分の課題なのでしょう。勉強するかどうか、その結果受験に成功するかどうかは、親の課題ではありません。それなのに、今日もあんまり勉強してくれなかった、どうしたらもっと集中して勉強してくれるんだろう、と悩むのは無駄なことです。

親の課題としては、例えば私立の学校だと学費が高くて払えないとか、ママ友の子供よりランクの低い学校だとメンツが立たないとか、しょせんはそんな範疇でしかありません。それを子供に伝えるのは大事なことですが、それを伝えた先で相手がどう行動するか、まで要求しないのが重要です。

ポジティブに諦めること。投げやりになるのではなく、課題を明らかにして提案はするけど、要求はしない。そういうスタンスがアドラー心理学なんだと思われます。

アドラー心理学の限界

アドラー心理学は、ある程度余裕のある状態、比較的対等な立場で、人間関係をうまくやっていく方法だと思われます。しかし、本当にフィジカルに追い詰められている人たちはどうしたらいいのでしょう。

社会課題とか、本当にひどい状況に置かれている人たちと話をするとき、どうせ無理なんだ、世の中何も変わらない、と思っている人とは対話が成り立ちません。そうなるとアドラーでは太刀打ちできません。

そこで出てくるのが、感情をあらわにして思いの丈をぶつけあうエルダーシップの考えなのです。立場が違う、抑圧され、思うように言葉を交わすこともできない人たちの本心を引き出し、議論を進めるためには、そういう感情的な場をファシリテートする必要があるのでしょう。

相手を攻撃する、非難するのではなく、自分のつらい、嫌だ、という気持ちを引き出すこと。一歩間違えれば傷つけあいのケンカになるので、ちょっと難しい駆け引きみたいになりますが、うまく自分の気持ちを出してもらうのが大事です。

親子や夫婦の間で

親子関係では、子供が抑圧されて意見をいいにくい環境にあるかもしれません。できれば親の方が抑圧的になるのではなく、きちんと意見を聞いてあげる、課題や解決策を提案しつつ、要求しない、みたいなスタンスで接してあげられるといいです。

子供だししょうがない、とあきらめるのではなく、子供だけど大人と同じように伝えて、でもできなくても怒らない。提案するけど要求しない。

これは夫婦でも同じで、価値観が違うとなかなか言っても分かってもらえないことがあります。そこで黙ってふさぎ込むのではなく、こちらの気持ちは伝えつつ、相手の立場や考えも知って分かり合おうとすること。

まぁそれができればいいけど難しいよね、というのが「嫌われる勇気」を書いた筆者の心の中にもあって、だからこの本は自己啓発本のように「こうしたほうがいい」と要求することはなく、こんなことができたらいいよね、ということを淡々と提案するだけの筆致になっているそうです。この思想が本の内容にも体現されていて、そこがすごくよかった、とのことでした。

すごく有名な本ですけど、改めて読むとそんな発見もあるんですね。

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