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謙虚なリーダーシップ 第3回読書会

11/13(日)の読書会メモ。この日は寝坊してしまって最後の方しかいられなかったので申し訳ないです。

ヒエラルキー組織でレベル2はあり得るのか

本の中ではアメリカ軍のような上下の規律が厳しい組織でもレベル2の個人的な関係を築くことはできる、と書かれていました。確かにできるかもしれませんが、現実はどうでしょう。

本当に私とあなたは個人的な関係を作れているのか、私は私の認識でしか世界を判断できません。私はレベル2だと思っていても、相手は気をつかって話を合わせているだけで、そうしたお世辞や世間話も含めて単なる業務上のレベル1の関係のなかで演技しているだけかもしれません。

上司と部下といったパワーの差がある状態では、上司がフランクに話したつもりでも部下にとっては絶対的な指令のように聞こえてしまうものです。以前、鹿児島県日置市長のお話を聞いたときも、そういったパワーをいかに取り外して対等に話し合うか、そうした場づくりにすごく気をつかったとおっしゃられていました。

日置市長のトークセッション

やはり、そこで「謙虚さ」が本当に重要になってくるんだろうな、と思います。謙虚じゃないのにレベル2の関係を目指そうとしても、そこは自分にとって居心地よいだけの、白々しいレベル1の茶番が待っているのかもしれません。

謙虚さの有無で何が違うのか

謙虚であってもなくても、リーダーが目的に向かって進みたいと思っていることに変わりはありません。そのアプローチとして、リーダー自身が一番いい方法を知っていると思って道を示す、ビジョナリーなリーダーシップはもう時代遅れでレベル1にとどまってしまうというのは分かりました。でもレベル2の謙虚なリーダーだってやりたいことは持っているし、みんなの意見を聞いた後にも、最終的には自分で道を示すのではないでしょうか。

部下たちの意見がちゃんと聞き入れられていると感じること、納得感みたいなものが共有できるかどうか。あなたはこれを大事にしたいのね、私はこれが大事だと思っているんだよ、というのをしっかり議論して、両者の落としどころを見つけること、そうやってみんなが納得できる形にすること。それが謙虚なリーダーのやることなのでしょう。

でもそれって、会議ばかりでとがった意見が全部丸くされてダメになる日本の会議と何か違うのでしょうか。この辺が、まだしっくりこない感じがするので、次の読書会でも考えられたらいいなぁと思います。

次回は11/27(日)早朝の予定です。よろしくお願いいたします。

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