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Caring Masculinity(ケアする男性性)

非常に面白い報告書を教えてもらったので要約しました。
「新しい男性の役割に関する調査報告書」
https://www.spf.org/global-data/user48/Research_Report.pdf

今回の注目点

P6 ケアリング・マスキュリニティ のところに私の関心事が要約されていたので引用します。

男性はこれまで、自らはケア労働から遠ざかり、それらを女性に任せてきた。その結果、男性には職業労働を担い経済的自立を果たすチャンスがより開かれるのに対して、女性は家事・育児・介護といったケアにかかわる無償労働への責任から経済的自立の機会が大きく制限されてきた。また労働市場においても、ケアに関わる職業は家庭内の無償労働と結びつけられることで賃金が低く設定され、主として女性によって担われてきたが、そのことが男女賃金格差を生じさせる一因となってきた。
男性はこれまで、他者のケアを女性に任せてきただけでなく、自分自身のケア(セルフケア)も怠ってきた。男性役割を稼ぎ手役割に特化し、タフさやリスクの高い行動をとることを「男らしさ」と同一視し、弱みを見せたり相談したりすることを避けることで、生活の質の低下や健康の悪化を生じさせてきた。

ポイントは2つ
・男性がケアをしない
・男性がケアを受け入れない

仕事での競争意識が強い男性は家事頻度も高い

仕事における競争意識が強い男性ほど家事頻度が低いという結果を予想していたのに、実際の調査結果は逆だった。男性の家事・育児への参加は増えており、ある程度は状況が改善していると言える。

P61
従来「女性の仕事」だとみなされてきた家事のようなケア役割が、今や「男性もすべき仕事」と見なされるようになってきている。しかし、だからといって男性が職業労働を期待されなくなったわけではない。「仕事での成功」は、依然として男性アイデンティティを支える重要な要素であり続けている。
競争に勝つことが「男らしさ」と同一視される社会において、「男らしくありたい」と願う男性は、競争意識も高いだろう。そして、そうした男性は、職業労働であろうが家事労働であろうが、「男がすべき」とみなされることならぬかりなく、むしろ積極的にこなそうとするだろう。家事が「男もすべき」仕事となった以上、家事をしないという選択肢はないし、他の男性たちに家事で負けたくない。彼らは、かつて「女らしい」とみなされていた活動を、旧来の「男らしい」やり方で遂行しているといえるのではないだろうか。
P66
2010年代以降、「イクメン」の用語とともに、育児をする男性の肯定的なイメージが急速に日本社会に浸透し、いまや、少なくとも人々の意識においては、父親が乳幼児の世話も含めて育児に関わることは当然のこととなった。むしろ「育児をしない父親」であることはもはや許されない風潮にさえなっている。
P70
今後男性がケアに関わる職業労働により参入していくことで、男女の賃金格差が縮小していくことが期待される。それは単に、より多くの男性の賃金が低くなるという消極的な効果のみによるものとは限らない。男性の参入によってケアに関わる職業の賃金水準が上昇し、それらの職業に就いている女性の賃金が上昇することで男女の賃金格差が縮小するという積極的な効果も期待される。

他者からの援助を適切に受け入れる

男性がケアをするように変化してきたのは確かだが、しかし男性がケアを受け入れないというのは微塵も変わっていない。

P65
男性は、生活の質や健康面ではより多くの問題を抱えている。タフであることやリスクの高い行動をとることを「男らしさ」と同一視したり、他者に弱音を吐いたり相談したりすることを「男らしくない」と見なす文化のもとで育ってきたことにより、セルフケア、すなわち自分を大切にするという姿勢が慢性的に欠如した生活を男性たちが送っていることに起因している。
多くの男性は、他者に依存することは「男らしさ」を失うことであるとの思い込みによって、他者に悩みを打ち明けたり相談したりしてよいはずの状況でも他者に助けを求めることができず、それが心身の健康のさらなる悪化につながっている場合も少なくないと思われる。他方で、少なからぬ男性たちが、自らが指導的立場でいられることや職業労働に就いて経済的に自立できていることが主に女性からなる周囲の人々の助けによって支えられている側面を十分に認識できていないため、そのことへの感謝を言葉や態度で表現することは少なく、またそうしたサポートが受けられなくなったとたんに怒りを覚えたりしてきたのではないだろうか。

これはまさに、老害化したおじさん、役に立たないクソ親父、そして引きこもる中高年男性そのものである。ケアすることの重要性は認識されてきたが、ケアを受けることの重要性はほとんどの男性が認めていない、認めたくないと思っている。

男性稼ぎ手社会からの脱却

日本の社会、労働環境は、まだまだ男性がケアをしない前提で作られているので、大きなひずみが生じている。

P68
「男性稼ぎ手」を標準的な労働者とみなす労働慣行のもとでは、標準的な労働者は「ケアレスマン」であることが想定されている。彼らは、転勤や、残業前提の業務量など、雇用者側の一方的な都合に合せて24時間体制で働くことが求められている。家族がいながら、そうした働き方が可能であるとされてきたのは、彼らにはケア(家庭責任)を一手に引き受けてくれる家族(多くの場合は妻)がいると想定されてきたからである。そして、そうした働き方を受け入れることと引き換えに、ケアレスマンは、家族のケアを担う妻や子どもを扶養するに足る額の「家族賃金」を手にしてきたのである。
そうした働き方を「標準」として業績主義的な競争が繰り広げられる限り、いくら採用・昇進における機会が平等であったとしても、家庭責任を担わねばならない労働者は、自ずと不利な扱いを受けることになる。これまで、そうした不利な扱いを受けてきた人のほとんどは女性であったが、今後、こうした働き方の標準が変わらないままより多くの男性が家庭責任を負うようになれば、女性たちと同様の不利を被る男性も増えてくることが予想される。

改善に向けた具体的施策

P67
男性が家庭責任を果たすことに対する肯定的イメージを普及させるだけにとどまらず、男性が家庭責任を果たすために仕事を休んだり減らしたりすること(育児・介護休業取得、残業免除、短時間勤務など)を「男らしくない」と見なす社会的風潮を改めることも含めた啓発。

改善策の多くは、啓発・教育といった意識改革を訴えるものにとどまっている。たしかに意識を変えるのが一番大事だが、一番難しい気もする。

P69
「ケアレスマン」であることが、それだけで、採用・昇進・人事考課において有利になるような条件の是正(例:超過勤務を少なくする、一定期間内の総労働時間に上限を設ける、労働時間の長さだけを評価しない)。
配偶者が自ら働くよりも「ケアレスマン」の収入に依存することに経済的インセンティブを与えるような制度の是正(例:配偶者控除や第3号被保険者制度の廃止、扶養手当を廃止し、廃止分を別の形で労働者に再配分)。

ただ、現在のマネージャ層など決定権を持つ世代はケアレスマンが多数を占めており、配偶者控除などの既得権益を容易に手放すか疑問である。

P72
セルフケア、自らの健康管理に気をつけ、危険な行動を避け、無理をしすぎず、自分をいたわることの重要性について、広く啓発を行うこと。
 男性相談の拡充。男性が安心して、従来の男らしさの像にとらわれることなく、電話や面接により悩みを相談できる場を増やしていくこと。
家事・育児・介護など「ケア」役割に対する興味関心と家庭責任を果たすことへの動機づけを与える教育。

結果的に、このままだと何も変わらない、ということがよく分かる。

少なくとも、この記事を読んだ男性諸氏は、まず自分がケアを受け入れられるか、それは負けを認めることではなく、正しい人間の生き方なのだということを理解しよう。そして実践しよう。

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