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短編小説:ああ恥ずかしき十一の蜘蛛 (下)

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 鈴木すばるは何者か。歌人の卵か。指導者・先生は誰か——新聞社に問い合わせが殺到した。騒ぎは県境を越えてネットでも話題になった。照会のたび、山岡は個人情報を理由に答えられないと言い続けた。ほとぼりが冷めるまでに三週間がかかった。
 
 八月の「読者文芸」欄の準備に入った。中旬すぎにすばる君から電子メールで投稿があった。
 
 例年、八月は力作がそろう。九月に開かれる県民文化祭で年間優秀作が発表されることと関係する。九月から翌年八月までに投稿された作品の中から三つを選び、さらに一位から三位までの順位を決める。八月投稿の作品は直近の時世を反映させているから印象度が大きく、上位に食い込む。エントリー締め切り直前の封切り映画が米アカデミー賞で受賞するのと同じ仕組みである。
 
 すばる君の短歌を声に出して読んだ。何とも不思議な感じがした。
 
 天の川
 ああジョバンニよ
 流れいく 
 まことを知らず
 ノアの箱舟
 
 宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』をモチーフにしているのは明らかだった。すばる君の通う芝園小学校で教師の体罰により児童が重傷を負う事件があったことと何か関係があるのかもしれないと山岡は推測した。
 
 八月末の朝刊「読者文芸」欄も、すばる君の短歌が特選の筆頭を飾った。二カ月連続の筆頭は珍しい。選者が特定の投稿者に肩入れをしていると疑われないよう、公平かつ厳しく選考に当たっている。それでも結果は『天の川』、だった。
  
 評は菱田さんが執った。
 
 「夜に歌を詠まなくなって随分たつ。日中に詠む歌が希望の歌なら、夜に詠むのは絶望のそれだろう。年を重ねて絶望することがなくなってしまったのだろうか。そんなはずはない。絶望こそが希望を光に導いてくれる。この歌が心を揺さぶるのは、ノアの箱舟に乗ったカンパネルラ(ひょっとするとジョバンニかもしれない)がいつまでも流れ漂うからだ。箱舟は希望へ向かうのか、それとも絶望へ向かうのか。『まことを知らず』なのだから、絶望なのだろう。しかし真実を知らないことで見えてくる希望もある。さあどちらか。読者は揺さぶられ不安にさらされ続ける。—菱田一郎——」
  
 すばる君は短歌や俳句、文学が特に好きだというわけではない。関心があるのはゲームプログラミングだ。そこそこのストーリーやアクションを取り入れたスマホゲームのソフトなら、苦もなく開発できる。両親が研究を進めている小説を自在に作り出す生成人工知能(AI)にも興味を持っている。両親との会話からディープラーニングを使った短歌・俳句生成AIを作りたいと考え、ソフトを試作している。新聞に投稿したのはこのソフトが自動で詠んだ二首だった。
 
 「読者文芸」欄を任されている山岡が「すばる君の歌はAIのなりすましである」と知らされたのは、秋風が立ったころ。一通の匿名の投書が新聞社に届いたのがきっかけだった。実はこの投書も、AIが作成したものらしかった。山岡は頭を抱えた。そして「読者文芸」欄が廃止になることを覚悟した。「すばる君は十一の虫だったよな。十一は忌数だ…。いまさら言っても遅いか」。掌にかいた汗が冷たいのを山岡は気づかなかった。
                               (完)                                                                                           

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