短編小説:「テトラの嫉妬」①


 そのネオンテトラは松山市内のオフィスで薫と呼ばれている。
 薫はペットショップの水槽で泳いでいるところをIT企業の社長に見いだされ、オフィスに連れて来られた。ネオンのように青と赤に輝く姿が気に入られたらしい。二年以上前の話である。
 社長は変わっている。
 熱帯魚の薫から見てもそう思う。
 デスクのパソコンに向かっているときの貧乏ゆすりがひどい。一分間で両足を百回はゆする。若い美人と話すときの声がうわずる。電話で横柄な態度を取られると途中で電話を空中に投げつける。難しい仕事をスタッフに頼むときは猫なで声に変わる。
 「単純。煮ても焼いても食えない」は、スタッフたちの社長評である。薫は「煮る」も「焼く」も意味が分からない。自分でしたことがないから当然である。それでもいい意味ではないことぐらいは理解できる。
 始めはオフィスの水槽に仲間が九匹いた。ネオンテトラは体が小さいため、幼魚のうちは性別の区別がつかない。薫も成魚に育ってから性別がはっきりした。薫を含めてメスが五匹、オスが五匹の半々。ペアリングを考えて十匹を買い求めた社長の期待通りになった。
 社長の仕事は、人間とペットの会話を翻訳する携帯翻訳機の開発である。その機器があれば、他人のペットの犬や猫の好き嫌いから、感情、欲求、よもやま話までを会話を通じて理解できる。飼い主とペットの個別的関係から人間と動物の一般的関係へ一気に飛躍する可能性がある。地元の大学の協力を得て、犬猫の脳の血流や脳波の変化と行動様式の関係を人工知能(AI)に一日中、学ばせている。
 「五年以内にヒトは犬や猫と自由に会話ができるようになる」と開発事業の出資者に社長は説明する。これはどうも怪しいと薫は考えている。
                              (続く)

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